新 The Economistを読むブログ

イギリスの週刊誌 The Economistを読んでひとこと

固有名詞で覚えようよ

さきごろ、イギリスでタワーマンション火災があり、多くの犠牲者が出た事件は日本でも報道されていましたが、どうしてだか日本のニュースでは固有名詞を報道しなかったので、それが西ロンドンのケンジントンにあるグレンフェル・タワーという建物だったことを知っている方はあまり多くないかもしれません。

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The Economistはさすがにイギリスのメディアだけあって、電子版の記事では結構詳しい話が出ています。火元は4階のアパートにあった冷蔵庫で、それが爆発した火が外壁材を伝わってたちまち広がったと考えられる、と記事は伝えています(外壁材については日本のニュースでも触れたところがあったと思います)。また、この建物には外付けの非常階段も、スプリンクラーも、火災報知機もなかった(!)のだそうで、そう考えると防災上の事例として、日本のタワーマンションには当てはまらない事例なのかもしれません(日本のメディアはだいたいこの辺で見切りをつけるのでしょうね)。

もう少し深堀すると、日本で報道されなかった話として、この「ないないづくし」のアパートは安い物件だったのか、移民などイギリスに来たばかりの人が多く暮らしていた、のだそうです。そしてさらに、メイ首相が現場を訪れたとき、彼女は消防など関係者を慰労するだけで、被災者とは「会わなかった」ことも記事は批判しています(このあたりは以て他山の石とすべき話、だろうと思います)。被災者の自己意識に「被差別」が巣食う可能性の芽を摘むための政治的配慮はなかったのでしょうか。

イギリスやアメリカでも過去にタワー型の建物で起こった火災が多くの人命を奪ってきた事例はあるようです。失敗に学ぶことがいかに難しいか。そのためにはまず、事件を特定できるよう、固有名詞で物事を整理するところから始めるべきではないかと思うのですが。

 

オーストラリアで起こったこと

6月17日号のThe EconomistAsiaに中国と近隣諸国に関係した記事をいくつか載せていますが、そのうちの一つ、オーストラリアにおける政治献金スキャンダルに絡んだ記事に注目します。

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記事によると、中国の不動産デベロッパーなどからオーストラリアの与野党政治家へ政治献金がなされている動きがあるのだそうで、その背景にはオーストラリアにとってインドに次いで第二の移民出身地となっている中国の、中国系オーストラリア人を介したコネクションが存在する、とのこと。オーストラリアで学ぶ中国人留学生は16万人に上り、中国人投資家にとってもオーストラリアは、何かあったときに安全な投資先なのだとか。

政治献金の目的は、オーストラリアとアメリカの分断ではないかと、またロシアがアメリカの政治に介入したと言われるやり方に酷似していると、専門家筋は見ているようです。

やらないんじゃなくて、できない

6月10日号のAsiaには、国連の特別報告者が日本政府によるメディアへの締め付けを批判した報告書と、それに対する日本の対応に関する短い論評が載っています。アングロサクソン社会が認める正論のあり方と、過去の日本の対応について、日本に居る日本人の目には示唆に富む内容だと思いましたので、今日はそれについて。

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記事では、特別報告者であるデビッド・ケイ教授がまとめた日本のメディア統制に関する報告書が日本でどのように取り扱われたかが紹介されています。すなわち、学究からは妥当性を疑われ、日本政府担当閣僚は報告書の信ぴょう性に疑義を示し、報告者と会うことすらしなかった、というのですが。

私も報告書そのものを読んだわけではないので、どの程度トンデモナイ内容なのかを把握せずに書いている状況ながら、妥当性に疑義があるというのであれば、会わないちおう対応を取るのではなく、国連の責任を問うくらいの反論や具体的な行動を示すべきだったのではないかと考えます。

記事は、日本が議論の機会として報告書を取り上げる対応を取らなかったことについて疑義を示しています。無視するんじゃなくて議論したら?というあたりがアングロサクソン的というか、上から目線的な物言いになっていて、一読しただけではシラケルことこのうえないお話しです。

かつて世論を騒がせた従軍慰安婦に関するクマラスワミ報告についての対応もそうなのですが、国連との関係について事を荒立てる可能性がある選択肢を、日本政府はまず取ることがありません。これにはさまざまな理由があるようで、今日はその点についてあまり深入りはしませんが、要は「やらないんじゃなくてできない」状態なのではないかと言うのが私の見立てです。

一言で表現すれば「戦勝国中心の体制保全装置」である国連は、時折ですが日本の国益を平気で無視するような対応を取ることがあります。そもそも自らの立ち位置が確保しづらい環境の中で、それでも状況をなんとか改善させたいと考えるなら、事を荒立てないまでも粘り強く説明する、あるいは不当な認識があるならそれを積極的に潰す、ような対応を、諦めずに執るべきであろうというのが当たり前の考え方だと思うのですが、もしもそこに「できない」ことにつながる障害があるのであれば、まずはそれを取り除く努力からはじめなくてはならないわけですね。

似たような、お門違いの報告や明後日の方向を向いた指摘は今後も折に触れて出てくるかもしれません。その都度、無視することでやり過ごすしか選択肢はない、というような状況に自らが自らを追い込むことのないように。

 

もしかすると不条理が通る世界

先ごろメディアが、日本では一瞬だけだったかもしれませんが注目したニュースとして、サウジアラビアやエジプトなど中東諸国が同じ中東のカタールと国交を断絶したという事件がありました。

ネットで流れているThe Economist6月10日号のLeadersに、その事件についての簡潔な論評が出ていたので注目します。

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記事によると、カタールは小国なのにLNG生産量で世界一であり、世界をカバーするカタール航空や衛星TV局のアル・ジャジーラの本社を持ち、ガス開発では(サウジアラビアに敵対する)イランとも協力関係にあるという、アラブ社会では開かれた国というイメージがあったところだと思います。米空軍も基地を持っていて、アメリカからすれば重要な友好国だと思うのですが、サウジアラビアやエジプトの主張はカタールがテロを助長しているということで、イランとの関係に加えてイスラム同胞団などへの関与が取り沙汰されているのだそうです。

トランプ大統領は、先ごろサウジアラビアに加え、バーレーンUAE等も参加してカタールとの国交を断絶したことを評価するツイートをしたそうなのですが、これまでのさまざまな報道を見るに、ISのテロを支援しているのは何もカタールだけではないのだろうと、むしろサウジアラビアあたりのカネとヒトが強く影響しているのではないかと、そう見えてしまうわけです。

ではなぜカタールが「切られた」のか?記事から読めるのは同国とイランとの関係で、アル・ジャジーラの存在も含めて言うと、サウジアラビアにとっては言うことを聞かない小者、に見えていたのかもしれません。

その動きを他ならぬアメリカ大統領が支持することの危うさをこそ、記事は伝えています。「超大国はその同盟国を、敵対する国とちょっとおしゃべりしただけでカンタンに捨て去るというイメージを与えることでアメリカの信用度を傷つけている」、と。

何でもよいからイランに関係するものを妨害することで、シーアとスンニの対立を深めておく、そうすることがユダヤの安定につながる、昨日はそんな読み解きについて触れましたが、もしもそうだとするならば、アメリカとカタールの二国間関係は一定の代償を含めて温存されるのではないかと思います(基地の存在もありますし)。でも、この記事が伝えているように、もしもそうでない方向に振れるとするなら、台湾や韓国を含めてこの事例に寒気を感じる国は少なくないのかもしれません。果たして日本はどうかというと?

 

敵対関係をどう読み解くか

電子版の記事に、イランで発生したISのテロ事件について触れたものがあったので。

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テロはイランもお得意か?と思っていたら、ISがテヘランで事件を起こしたというので何となく理解できたのは、シーア派スンニ派の対立軸がこれまでになく強調されてきているらしい、ということです。

背景はわかりませんが、イランを攻撃したISはスンニ派の過激派ということで読み解けば、ある程度の仕訳ができるように思います。

日本のメディアでも、アメリカはイランと対立するスンニ派サウジアラビア、エジプト、その他アラブ諸国)の肩を持つ、みたいな言われ方がされていると思いますが、イスラエルイスラムの対立軸がまずあって、イスラムの中でスンニ対シーアの対立軸があるとすると、そこに重心を置いておけばイスラエルイスラムの不安定化要因は結果として緩和される、みたいな読み解きなのかなと。いや、これは若干以上にアメリカ目線の見方なのかもしれませんが。

 

ビットコインはバブルか?

6月3日号のLeadersの中に、価値が高騰しているビットコインについて簡単な解説に合わせ、それが歴史上人類が持ちえた投機の対象でも価値の保存方法でもない新しいツールであること、もしも「健全なバブル」なるものが世の中に存在するとすればビットコインこそがそれにあたる、と結論づけた記事が出ています。

健全なるバブル?という評価を下支えするほどの説得力のある論評はありませんで、「システムの独立性が高いこと」が外部への問題波及を考えにくくしている、という程度の話しか出ていません。

The Economistとしては、むしろ行き過ぎた規制を心配しているようで、記事の最後ではこの技術がもたらす同時多発的で有益なイノベーション、への期待感を示しています。

ちょうど、少しだけ専門家の話を聞く機会があったのですが、ビットコインの流通はその多くが中国系の関係者によってなされているのだそうで、技術的なものも含め、さまざまな未解決の課題を持ちながら運営されているというのが実情なようです。向こう数か月~1年程度に予想される困難な課題を克服できればそれなりに成長すると見られている半面で、それら課題が大きなリスク要因となることも認識されているのだとか。The Economistにも、このあたりもう少し突っ込んで欲しかったかな。

ハーバードビジネススクールの憂鬱

The Economist電子版で目にした記事です。

泣く子も黙る(?)かどうかわかりませんが、ハーバードビジネススクールと言えば最強のMBA養成機関というイメージがある中で、今月発表されたビジネススクールのランキングでトップを滑り落ちたことについて、記事は容赦ない論評を加えています。

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曰く、成長のあまりに時間をかけるべきさまざまなプロセスを急ぎすぎたことで競争力を失った、収入が増えると同じようにコストも増加した、ケーススタディで採用された会社が触れてほしくない不都合な部分は事例から除いた(本来ならここが肝だと思うのですが)、教授が企業からおカネをもらえるようにした(都合の良いことしか言わなくなる惧れ)、様々な学生を受け入れる努力にもかかわらず授業料はここ5年で3割も値上がりした、マイケル・ポーターに代表されるスター教授についても、このところ若手の台頭がない、など。

で、結構本質的な疑問だと思うのは「ハーバードビジネススクールは教育なのか、ビジネスなのか?」という問いかけですね。仮にビジネスだとしたら、コストダウンにより5年前のコスト構造へと転換できればその企業価値は50億ドルを下らないだろう、とのご託宣です。さらにビジネススクールの上場により、大学側は特別配当金をもらえるはずで、それを社会貢献へと回せる中、ビジネススクールそのものは卒業生たちがそうであるようにケレン味のない利益追求ができるようになるはずだ、との結論で締めくくられています。The Economistが言うように、果たしてハーバードビジネススクールの上場・株式公開なんていう流れはありうるのでしょうか?

仕事で日本企業による海外への事業展開をサポートしていて感じるのは、たとえばMBAに代表されるようなビジネスの人材力について、米欧(最近は東南アジアのトップ企業とも)と日本には決定的な差があるということでして、ハーバードビジネススクールはその象徴的な存在だったので、特に印象に残る記事でした。株?買って損はなさそうかな、と。