新 The Economistを読むブログ

イギリスの週刊誌 The Economistを読んでひとこと

誰のための大会か

今週はトーナメントも後半に入り、連日熱戦の続くウィンブルドン選手権について、The Economistは電子版でちょっと考えさせられる記事を出しています。

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今年の大会では、一回戦でケガによる途中棄権が相次いだそうですが、極端な例ではプレーが始まって15分、わずか5ゲームが終わったところで棄権したティプサレビッチの話が出ています。

あるいはご存知の方も多いかと思うのですが、ウィンブルドン選手権には予選があって、決勝で負けた選手は一回戦で棄権が出ると「ラッキー・ルーザー」といって繰り上げ出場の権利が与えられるケースがあります。今年は日本の伊藤選手も予選決勝をフルセット戦って敗退していました。

ところが、ウィンブルドン選手権では一回戦を出場しないと賞金もポイントも稼げないのだそうで、多少ケガをしていていも少しでもプレーして賞金を稼ぎたい選手からすると、一回戦を短時間プレーして権利を確保したうえで棄権する、みたいなパターンが横行する素地があるわけです。予選決勝敗退者は、ラッキー・ルーザーになれるかもしれないと思って待機した挙句、棄権しそうな選手がやっぱり出場してしまうことにつながるわけで。

このようなことが続くと、一回戦は軒並み途中棄権になるリスクも出てくるわけですが、他のツアー大会ではそれを防ぐために事前の棄権であっても出場資格保持者には一回戦敗退と同等の賞金が支払われるというルールになっているそうです。ウィンブルドンもこれに合わせてルール改正が議論されていて、そうなるとやる気のあるラッキー・ルーザーが大会に出場できる機会も増えると思われるのですが、そもそも誰のための大会なのか?ということを考えるに、もう少し違う議論があっても良いような気がしています。

本来お客さんが見たいのは、ランキングが上の選手による高度なパフォーマンスだと思います。むろん選手としても、ケガのない万全の状態でプレーしたいはずですよね。であれば、ルール改正が向かうべき方向は賞金配分方法の見直しではなく、出場試合数の削減あるいは調整ではないかと思うのです。

今のルールではトップ選手に対して年間出場大会数が半ば義務的に決められていて、ツアーを回る選手はそれを意識して臨まなくてはならない宿命を負っています(男子のトップ30に位置する選手は年間12大会の出場義務がある)。それを大会数ではなくて、試合数あるいは実際にプレーした試合時間または得点数+失点数をポイント換算したもので測定し、そのポイントで義務的な出場責任を測るようにすると、責任分担が公平化されるとともに、蓄積疲労によるケガなども減らせるのではないかと思うのですが。

今年の大会は、優勝候補の一角に挙げられていたナダル選手がファイナル13-15という記録に残る厳しい試合を落として敗退し、若干以上波乱含みの展開となっています。彼もまた、ここ数年はケガに悩む時期が長かったわけですが、彼ならどんな改革を考えるでしょうか。ちょっと聞いてみたい気がします。

日EU経済連携協定と、日本のメディアがカバーしなかった部分について

7月8日号のThe EconomistはFinance and economicsで、さきごろ大枠合意がなされたと国内でも報道された日EU経済連携協定(JEEPA、という聞きなれない略称が使われています)について伝えています。それによると、モノの貿易に関する自由化や関税引き下げについての内容はほぼ同じ(日本からのクルマ、ヨーロッパからのワインやチーズなど)なのですが、データの保護や紛争解決の手順などが決められておらず、それらについては協定とは別に交渉が行われているのだというお話です。

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The Economistの伝えるところによると、ヨーロッパのシンクタンクの見方として、紛争解決を国が決めた判事に任せるシステムを導入すると、日本にとってそれは中国や韓国との取り決めにも横並びで反映させられることにつながり、そうすると中国や韓国の企業から訴えられることを懸念しているのではないかということです。

このあたり、日本のメディアはしっかり伝えてくれていたかどうか?違うなら違う、そうならそうだという話を、国として言うのが難しいというなら、メディアがその責任において伝えるくらいの矜持をもってほしいものだと思うのですが?

何だか最近、こんなトーンでブログを書くことが多くなってきたような気がします。国内のニュースや新聞が意図的としか思えない明快さで切り捨てた事象について、横文字のメディアが伝えると、そのうち週刊誌あたりが辻褄合わせのようにちょっとだけ報道する、というようなパターン。国内メディアの能力不足に起因するのか、はたまた巷間伝えられるような、政治によるメディア束縛がその原因なのか。そのあたりも含めて、伝えられないニュースには世の中を見るための情報がいっぱい詰まっているように感じています。

勝利、暗澹たるその後

ネットでは7月8日号が流れているThe Economistの記事ですが、今日はLeadersの最後に出ている中東のIS問題を巡る記事に注目します。アメリカの支援を受けたイラク政府軍他の奮闘により、IS壊滅がいよいよ視野に入ってきたという報道は日本でも目にします(ここ数日は台風や九州を襲った豪雨のため、あまり目につかなくなっているかもしれません)。

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記事が指摘するのはISが壊滅した後で何が起こるのか、という根本的な問題で、アメリカのトランプ政権は安全保障関連のスタッフがまだ揃っていない状況にあり、対応力が弱いこと、さらにアメリカが考えていることはと言えば①ISを壊滅する、②イランの力を低下させる、③中東問題におけるアメリカの関与を引き下げるという矛盾そのものであることなど、アメリカに期待すれば何かがうまく働く、というような状況には全くなっていないというのがその読み解きです。結果としてアメリカとイランの対立は不可避、と同誌は見ているようです。

仮に中東方面が静かになってくれれば、たとえば北東アジアへの注目度は相対的に上がるのだろうと思うのですが、記事の語るところを考えるに、ISが壊滅したからと言ってアメリカの憂鬱が軽減されるわけではなさそうに思えます。

IS後の空白地帯で何が起こるのか。具体的には誰が、何を、どうしようとするのか、そしてそれは何のためなのか。水晶玉を持っているわけではないので、そこから先は読めないことだらけ、というのが現状のようです。

日本株式会社の遅い改革

The Economist7月1日号のbusinessには、先日身売りが決まったエアバッグ大手のタカタの経営に関する簡潔な論評記事が出ています。ある意味で明快に結論の出た話なので、その書きぶりも淡々としたものですが、失敗は同社における透明性とリーダーシップの欠如にある、とするものです。

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すでに日本のメディアでも、深読みしたものやスクープ情報も含め、様々なことが書かれていますが、東芝やシャープの事件も参照しつつ、The Economistは日本的経営の改革が遅きに失していることへの警鐘を鳴らしています。

私は東電福島原発で有効な地震対策が講じられなかったことも含め、いわゆる大企業における不作為のミスが引き起こす(引き起こしてきた)失敗には構造的な共通点があるように見ていますが、その意味ではタカタの件にも共通するところがあって、それは危機に臨んだときに経営者が見せる想像力の欠如あるいは貧困を、組織として補完する手だてを持てていないことではないかと見ています。逃げ、隠れ、隠し、ついには破たんする。そうすればそうなることが明快に解っていたはずの失敗から逃げられない。

これとは異なる事例として、歴代の有名社長に比べて在任期間が長いわりに功績に乏しいと批判されがちなトヨタの豊田社長について、The Economistはタカタと比較する事例として2009年に発生したリコール問題を積極的な情報開示で乗り切ったことを挙げていますが、確かにトヨタを守ったというその功績だけでも彼が評価されるべきであろうとの議論はある意味で的を得ていると思います。かつて栄華を誇った電気電子は全滅、日産も外資の軍門に下り、このうえ日本企業を代表するトヨタまでおかしなことになっていたとしたら、「ものづくり日本」なんていうおめでたい議論は雲散霧消していたかもしれません。多くの大企業がその勢いに陰りを見せ、経済面で行き詰まりが懸念されている韓国にくらべ、日本がいまだ土俵際で踏みとどまっていられるのはトヨタのおかげ、ということでしょうか。願わくばその踏ん張りに胡坐をかいた現状肯定主義が、タカタに続く不祥事の温床になりませんことを。

今年ばかりは

今週、イギリスではテニスのウィンブルドン選手権大会が始まりました。The Economistはさすがイギリスの週刊誌だけあって、電子版には大会に関する結構しっかりした記事が出ています。

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曰く、男子はフェデラー、女子もクビトバを軸に俯瞰して、だれが勝つのか全く予断をゆるさない、との論調です。男子の4強そして穴馬(?)にラオニッチ、チリッチ、キリオスあたりの名前が出てくるのはさすがイギリスです。テニス雑誌を除く日本のメディアでここまで踏み込んだ解説をするところはたぶんないでしょうね。ちなみにキリオスはケガで一回戦を棄権してしまったようですが。

女子もクビトバ以外に全仏を制したオスタペンコ、加えてアザレンカ、リシツキ、ビーナス・ウィリアムス、それに第一シードのケルバー、好調のハレプ、プリスコバと抑えるべき人の名前は一通り上がっています。

日本の錦織、そして大坂の名前は全く上がっていませんが、どうなるかわからないという予測は、逆に言えば彼らにもチャンスはあるかもしれない、という読み方もできなくはないわけで。

特に大坂はオスタペンコにも勝ったことがあるはずなので、当たればすごい、ということで期待したいと思って見ています。錦織は、一にも二にもフィジカルですかね。ちょっとだけ期待して注目したいと思ってますけど。

 

日本で自殺者が減っている、というニュースの価値とは

The Economist電子版ですが、日本の自殺者が過去20年間で最低水準にまで減ってきた、のだそうです。これを受けて政府は向こう10年で更に3割ほど自殺者を減らしたいという目標を立てたのだとか。

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日本ではあんまり注目されていないニュースではないかと思うのですが、人口減少時代にあって自殺者が増えるようでは深刻な問題だと思われることから、減っているならそれは歓迎すべきニュースと言えるのかなと思います。もしかして、減っているのは人口(そもそもの母数)が減っているからでは?

そのあたりの検証について記事は多くを語っていませんが、減ったところで依然として、日本は10万人当たりの自殺者数で18.5人と、OECD加盟国中第三位の高率だそうです。

大統領令を巡ってアメリカ最高裁の決めたことについて

日本のメディアでも昨日にかけて、米トランプ政権が打ち出した中東6か国からの旅行者を3か月間アメリカ入国禁止とする大統領令が連邦最高裁によって条件付きで容認したという報道が流れました。The Economistも電子版でこれを取り上げています。

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でもその条件とはどんなものなのか?しっかり触れた報道は日本では少なかったように思います。The Economistの解説によると、対立軸はトランプ政権とハワイ州、およびトランプ政権と国際難民支援プロジェクトというNGOの二つがあるようです。決定では10月以降に、最高裁判事の立会いの下で対立する各者による口頭弁論が行われるとのことが謳われているのだそうですが、これが開かれずに終わる可能性もあるとの話。

どうしてかというと、トランプ政権が言っているように3日以内に大統領令を実施すると、おしまいは9月27日となり、10月になるとすでに失効した状態になっているはずで、誰も失効した大統領令の適否を論じることに意味を見出さないのではないか、との読み解きです。ではどうしてこんな変な条件がついたのか?ですが、誰も急がなかった、というのがその背景にあったようで、よく時間がものごとを解決してくれる、などと言いますが、とりあえずの妥協を時間を区切った形で受入れ、口頭弁論の予定を立てることで法的に果たすべき義務は果たした、ということなのかと。

一言で言うとややこしい決定だったということかと思いますが、「条件付き」の内容を伝えない端折った報道に、何だか置いてけぼりを食ったような印象を感じてしまった事例でした。