新 The Economistを読むブログ

イギリスの週刊誌 The Economistを読んでひとこと

英語で本を読むと言うこと

たまの土曜日は、記事の紹介から離れて思っていることを書いてみようと思います。The Economistもそうですが、英語で本を読む場合、日本語で読む本に比べると私の場合明らかに時間がかかります。それは単語や読解の力による部分も大きいですが、やはり何と言っても一番大きいのは、記事の対象となる国が遥かに遠い国だったり、書き手が持つ異文化のロジックに含められた意味などが、頭に入ってくる場合とそうでない場合があるということが原因だと思います。

仕事で使う文章などは、文体馴れしていて日中読み込む環境も静かなので、そこそこのスピードと効率で読み進むことができますが、特にまだ一度も訪れたことのない小国についての記事で、その内容が反政府勢力が世代交代期において旧リーダーと若手の間に軋轢を生じさせ、、というようなものだったりすると、明らかに想像力の限界が理解を浅くさせ、論理的含蓄を拾いもらしてしまう結果になることがしばしばです。

また、なぜか日本人が書いた英語だと読みやすい、というようなこともしばしば経験します。高尚且つ正確な英語でも、書き手が日本人だとなぜか「良く判る」ことが多いです。学会の論文集など、日本人の書いた英語を目にする機会の多い人もあるいは同じような感想をもっていらっしゃる方がいるのではないかと思います。

最近読んだ本で、かの佐藤優氏が大川周明の意見として「東洋と西洋は異なる世界であった」ことを紹介していました。それを思い出すと、地球の反対側の小国で起きている政争などは、まさに「異なる世界」の出来事と捉えるがゆえに想像力が働きにくいのかなあと思ったりもします。私は仕事上、これらの国々とも連絡が多い立場にいるので、本当は「異なる世界」などと思ってしまうようでは困るのですが。。。

その意味では11月4日号は読みにくい部類に入る号でした。このあたり、やはり書き手によるのかもしれないなあと思ったりします。