新 The Economistを読むブログ

イギリスの週刊誌 The Economistを読んでひとこと

格差社会 in Germany

11月11日号はEuropeのページで、ドイツに見る新たな格差社会の兆候について伝えています。「格差社会」は、最近日本でも一寸気になるキーワードなので思わず目に留まってしまいました(本文のタイトルは"Class concerns"すなわち階級の懸念、となっています)。

ドイツの階級社会?ああ、西と東のことね、でなかったらトルコからの移民?それともEU統合による影響かしら。いずれにせよ日本とは違うよね。読む前はそんな早とちりが頭をよぎったのですが、案に反して日本にも当てはまる警告が目に飛び込んできました。すなわち、格差の定着した社会には、格差によって異なる生活スタイルが生まれつつあると言うのです。

戦後のドイツ社会には居場所のなかったはずの「ブルジョワ」が、罪悪感なく若い世代に受け入れられ、「かっこ良い服、ラテン語のレッスン、私立学校」がファッションとなり、ボランティア活動が賞賛される社会。それが一つの階層を形作りつつある、と。

それに対して下層に位置する労働者は「技術が低く、しばしば失業しており階層を上昇できる見込がほとんどない」人たちであること、またその階層が「ファーストフードとアルコール、クズみたいなテレビ番組と大判の刺青」に象徴される生活スタイルを築きつつあると。

「ヤバい経済学」というベストセラー本にも書いてあったアメリカの白人と黒人のくらしに見る質的な違い、を思わず連想してしまいました。いわく、子供の名前にも「真っ白な名前」と「真っ黒な名前」があるそうで、文字で読んだだけでそいつが白人か、黒人か大体予想がつくのだとか。で、何故両親がそんな名前をつけるのか、というと、それが所属する空間や社会への順応を意味する行為だから、というような解説がついていたと記憶してます。

何と言うか、生活スタイルや空間に大きな開きができてしまうと、そこからは交わることすら難しくなってゆくような気がします。なぜなら、「異なるものと交わること」は「自らの社会と交わる時間や機会を犠牲にする」ことの裏返しであり、どうしてそうしなくてはいけないか、を合理的に説明できない場合は悪くするとそれが背信的な捉えられ方をする場合すらありうるから、なのですが。

翻ってわが日本はどうでしょう、わが日本の格差社会も、生活空間の隔離や生活スタイルの分化につながってゆくのでしょうか。The Economist誌は「分割された社会は不幸な社会へと変質してゆきかねない」と、ドイツ社会に対して警鐘を鳴らしています。流石に、分割された社会の国のメディアだけあって、説得力がありますね。