新 The Economistを読むブログ

イギリスの週刊誌 The Economistを読んでひとこと

本とのつきあい

自分で言うのもいささか気が引けますが、私は本を良く読むほうだと思います。実際に統計的な数字と比較してみたことがあるわけではありませんが、毎月軽く一万円以上は本につぎ込んでいるように思います。なお、長期購読しているThe Economistの代金はこの予算外なので悪しからず。

ではどんな本を読んでいるかというと、これが乱読の極みなのですが、最近読んだのは「宗像教授違考録」(マンガです)、「日米開戦の真実」「医療崩壊」など。友人たちからの勧めがあったりするとそれだけで買ってしまいますし、あとはネットの書評などが手がかりです。

つい数日前に読み終わったのはWillam EasterlyのThe White Man's Burdenという、南北問題に関する論文集のような本でした。我が意を得たり、という点が多かったので、著者に直接、「翻訳は出るのですか?」と問い合わせたところ、現在日本語訳が進んでいるところですという親切な回答が届きました。

そう遠くないうちに邦訳版も出版されると思いますが、国際協力に従事する方にはこの本はとてもとてもお勧めです。なぜなら、ODAにおけるマクロ経済学的アプローチの欠点を明示的に論じている点が、実践的協力を是としてきた日本の取り組み方に相通じる点が多いからで、これまでおずおずと国際社会の目立たないところに腰掛けていた実践派の人たちを(私自身、そのようなスタンスの人間だったと思います)勇気付けてくれる本だからです。この本について紹介しだすと長くなるのでそれはまた別の機会に。

で、これらに加えてThe Economistと(だいたい一週間かけて中身を読み、表紙から巻末の経済データまでも一応目を通します)、月一回自宅に届く「選択」、二回配本される「日経パソコン」を「見て」いる状況です。「選択」は、世間では「フォーサイト」と並び評価の高い雑誌ですが、月刊なのが玉に瑕。なぜなら国際問題への対応がどうしても後追いにならざるを得ないからです。正直言って、とても満足しているというわけではないのですが、以前にも書いたようにThe Economistも万能というわけではなく弱点もあるので(例えば製造業。日本の内政についての洞察も同様)、それを補完する意味でとっています。製造業については意外に思われるかも知れませんが「日刊工業新聞」が、よく言えば事実に立脚した良心的な、悪く言えば洞察に欠けるスポラディックな記事を提供してくれており、最近とみに「勝手な味付け・解釈」が鼻につく日経・日経産業新聞と比べるとわりと素直に読めます。以前に「日本のメディアは読まない」と書きましたが、全く遮断しているわけではなく、この程度には接触している(新聞は「目を通す」程度)わけです。ただ、「読む」と言えるレベルで時間を割いていると言えるものはほとんどなく、月に一万円以上かけている「本」とThe Economistで手一杯という状況です。

そういう意味で、日本の特に週刊誌メディアは時間の無駄と思い一切タッチしていません(床屋に行ったときくらい眺めたりはしますが、ああ、相変わらずだなあと思って捨て置くのが関の山)。

で、現在読んでいるのが「脳はなにかと言い訳する」という最近流行の脳モノです。結構面白くてすらすらと読めています。

これだけ本を読むメリットは何かと言うと、私にとってはやはりThe Economistの記事を鵜呑みにしなくなるだけの蓄積が得られること、だと思います。過去の例を引くと、「OECDで議論されている二国間無償資金協力の資金についてはすべて拠出国の発言権をなくすべきだ」とか、「タリバンは栽培したケシで麻薬を作って資金源にしている」、とか言った「気をつけていないとそのまま頭に入れてしまいそうな」政治的意図のある同誌の主張が見抜けるようになります。自由貿易を守ることは尊いことですが、意図するとせざるに関わらず、その金科玉条が結果として「行き過ぎ」になるための理論武装を同誌は良く手伝います。私にとってのThe Economistをジョークで形容するなら、変わらない主張、一貫した論旨、現場主義のレポート、間違った結論、とでも申しましょうか。Bill Emott(前の編集長)もしぶしぶ認めていましたが、たとえば旧ユーゴ問題で空爆を批判したことは過ちだった、と(ほとぼりが冷めた頃、過ちを認めるのもこの本の偉いところではありますが)。イラク戦争についてはどのような取り扱いになるのでしょうか。今のところ、過ちを認めるような論調の記事は目にしていませんが。

明日には12月2日号が配本になるので、月曜日からまたご報告しましょうかね。