新 The Economistを読むブログ

イギリスの週刊誌 The Economistを読んでひとこと

クリスマスの前に

昨日も書きましたが、The Economist12月23日号は、クリスマス合併号ということで通常の2倍弱のボリュームがあります。といっても先週から一週間しか経っていないこともあり、時事ネタ満載、というわけでもなく、ページが増えた分はいつもは書けない解説記事や薀蓄ネタで埋められているという感じです。
Leadersのトップは「幸福とは(それを測る方法)」と言う題で、資本主義的成功と幸福のギャップについて述べています。さらにクリスマス向けの特別記事でその議論は深められているようです。

まだきちんと読んだわけではないのですが、見出し文をつないで読む限りでは、歴史上資本主義は経済的成功をもたらしており、それは今後も望みうるものである。しかしながら経済的成功により達成されたものは、必ずしも幸福の分配にはなっておらず、また資本主義はそれを保証するものですらない、というような内容のようです。

本当に、幸福とは何なのか、仕事柄考えさせられることが数多くあります。資本主義のもたらす経済的成功が幸福につながらないとしたら、人類は何をすればよいのか。何を以って将来への方向性とすべきなのか。また逆に、資本主義のもたらす経済的成功を幸福につなげるには何が必要なのか。

一寸記事を離れますが、一つの例として。
途上国支援に関わっている人たちにはさまざまな分野の専門家が居ますが、必ずしも資本主義の経済的成功に関係する人が多くはないのが現状だろうと思います。とある最貧国がとても必要とする工業産品があり、でもそれは高価だから、という理由で援助関係者からは避けられているというケースも時折耳にします(エイズ新薬を巡って似たような事例がありました)。そうすると、援助がもたらすものは皮肉にも高価な解決手段ではなく、安価な代替手段(往々にして効果が低い)や、実態調査、啓蒙活動など、本筋とは関係ないところで「お茶を濁される」ことがよくあったりします。

本当に受益国が欲しいのは高価かもしれないがその工業産品である、とした場合、「資本主義の経済的成功」的に言えば、「じゃあそのメーカーの株買っちゃえばいいんじゃないの?」という案が出たりします。配当を受ける代わりにその品物を現物でもらえば?という案も付随して出てきそうです。超大手でもない限り、部分的にでも会社を買うお金というのはべらぼうに高いわけでもありません。払い込み資本金の半額でも出資すればそこそこの発言権は留保できることになりますし。でもそんな案が援助担当者から出てきたことなどついぞ耳にしたことはありません。結果、何時まで経っても最高の解決手段とは程遠い代替的な案を気乗りしない現地の関係者と議論するしか手はなくて。

The Economistの国・イギリスでは、このような事例について公的な出資を仰ぐことは可能なのでしょうか。最低限、日本ではどこでも「難しいですね」と言われて壁にぶち当たるのが関の山、と言う状況です。結果として、欲しいものとは違う安価な道具(動きは今ひとつ)をもらってしまい、「それについて何か言え」と言われる現地のトップの心情たるや、「幸福」とはいかばかりの距離にあることであろうか、と思うと本当に残念だと感じます。

このあたり、もう少し記事を読み込んでから再び触れてみたいと思います。