新 The Economistを読むブログ

イギリスの週刊誌 The Economistを読んでひとこと

ゆがめられた選挙がもたらすもの

4月28日号は地域に関する情報のBriefingとしてナイジェリアの大統領選挙とそれをめぐる同国の近未来についてかなり厳しい論評を載せています。

買収や対抗馬への妨害といった、所謂選挙違反に止まらず、代理投票、投票所丸ごとの票の入れ替え、野党が強い地域には投票用紙や投票箱が配達されないか、非常に遅くなってから到着し、その時点ではすでに多くの投票が済んでいた(誰かがすでに投票用紙に書いて投票していた)、等々。。。

強烈な個性にあいまって、資源開発に頼ったとはいえマクロ経済指標の改善や国際社会への発言とともにオバサンジョ前大統領はそれなりの地位や期待を手にしていたはずでした。ところが現実には汚職といえばこれ以上ないと思われる露骨な選挙を行い、自らの後継者たるヤラドゥワ新大統領を誕生させた、ということです。

The Economistはその記事で曰く、圧倒的且つ露骨極まりない不正により誕生した与党政権は、仮にそれが改革を続けるための仕方ない手法であったにせよ、すでに人心の乖離を決定的なものとしたため改革自体が今までのようには続けられなくなったはずである、と分析しています。

アフリカ大陸第二の経済大国でもあるナイジェリアですが、電力供給事情の不安など、解決すべき経済面の問題も数多く抱えており、オバサンジョ大統領の残したものが必ずしも成功ではなかったことを物語っています。約四半世紀前に高名な作家が言った言葉として、「ナイジェリア人が他の外国人と根本的に異なっているため汚職があるのだ、と言う説明は間違っている。汚職することが難しくなり、利益をもたらさなくなれば自然と収まるはずで、ナイジェリアの失敗はまさにリーダーシップの欠如に起因する」という言葉が参照されています。記事は「オバサンジョの失敗のあと、アフリカの疲弊した巨人は依然としてそのリーダーシップを待っている。」と結んでいます。

来年、日本では「第四回アフリカ開発会議」という大きなイベントが計画されています。好むと好まざるに関わらず、その経済規模によりナイジェリアは、ひな壇の上でスポットライトを浴びることになるのでしょう。それがどのような国情の国なのか、相手を知った上で議論をする、というとても基本的な部分で役に立つ記事だったと思います。最低限、権威あるメディアの一つが強烈な批判をした国だ、という意味ででも。