新 The Economistを読むブログ

イギリスの週刊誌 The Economistを読んでひとこと

違っている、ということについて

4月26日号を読み進めています。

まずはBriefingですが、オイルマネーによる好況に沸く中東沿岸諸国について。はっきり言ってバブルではないかとすら思われるインフラ投資が続いているのですが、それが安定的な成長とキャッシュフローを呼ぶものであれば、まあ問題ないかと。最低限石油とガスが採れているうちは大丈夫、という要素もありますし(国民一人当たり年間6万ドルとか9万ドルとかいうおカネが、黙ってても流れ込んでくる、というのですから)。

で、アジアに目を移すと貧困対策として始めた公共事業が汚職や官僚主義の蔓延などによりいま一つ成果を出さないインド、チベットをめぐる国際社会の声に愛国主義者の反発が強い中国について。このうち「中国をならず者」と発言したCNNのコメンテーターについてThe Economistは「アメリカの指導者に対してはもっと毒のある言葉を投げかけているが、誰も問題にしない、そういうタイプの人だ」と説いて暗に議論の沈静化を示唆しています。続いてインドネシア憲法が保障する信教の自由とイスラム重視政策との矛盾について、さらにオーストラリアのラッド新政権が進める改革について(英連邦離脱と共和制への移行が視野に入ってきました)。

アメリカでは大統領候補者選びを巡っていよいよ深刻化する民主党の分裂について、その間に地道な努力を重ねるマケイン共和党候補について。ちょっと目を引いたのが、死刑制度に関する報告で、現在アメリカでは大多数の州で注射による死刑が行われているのですが、最高裁がこれを支持する判決を出したことについて、判決を待っていた40以上の死刑が執行されることにつながるため、これは何の解決にもつながらないと批判的な記事を載せています。ま、たしかにThe Economistはヨーロッパの雑誌ですので、死刑制度廃止へとの議論を支持するのはわからなくもないのですが(現在死刑を廃止している国が世界の多数を占め、昨年12月には国連が104か国の連名で死刑制度の中止を求める決議文を採択しています)、ごく最近では光市の母子殺害事件差し戻し審などで注目されているように、死刑が社会に意味するものを、プラスマイナス合わせて問いかけた上で、制度が必要というなら自らの意見を述べる必要性が日本にもありそうな状況です。黙っていると、国際社会の潮流は死刑制度の廃止へと動き、またぞろ日本に対する風圧とならないとも限らないわけですから。「違っている」ではすまされない問題に発展することが危惧されます。

違っている、という意味では歴史教育問題をめぐるカリフォルニア州の議論は、移民国家であるアメリカの土壌がたとえば日本とどれだけ違っているか、ということがわかって興味深いです。具体的にはフィリピン系やエジプト系など、あじあ・アフリカ系のマイノリティが果たした役割について学校で取り上げるべきだ、という法案が議論されているのだそうで。で、あまりに取り扱うべきマイノリティの数が多いため、たとえばイタリア系などについての議論は放っておかれている模様です。Lexingtonでも「自分たちは違っている」と信じたいアメリカ人、という興味深い議論が展開されていました。どこの国でも(日本もそうですが)ありがちな議論が、とくにアメリカでは強いのだ、ということですが。

Americasではキューバの自由化政策でクラシックカーを新しい車に乗り換える動きがあり、やがて名物の古いアメ車が見られなくなるかも、という記事が目を引きました。

特集記事は、経済的に勃興が著しいベトナムについてです。いろいろ議論はあっても、戦争を克服し、不均衡の少ない形で経済発展を実現したモデルは、たとえば北朝鮮やアフリカにとって参考になる部分があるのでは、という視点で書かれています。国民の資質や置かれた環境も歴史も違いますので、一概には言えないと思いますが、さまざまな可能性を確かめるという意味ではあって悪い議論ではないと思います。違っていても、少なくとも参考になる部分はあるはずですから。