新 The Economistを読むブログ

イギリスの週刊誌 The Economistを読んでひとこと

傾向、と対策?

5月9日号です。

Asiaでは、各国で起こっている政治的な動きなどを詳報しています。そのなかでBanyanが取り上げたのは、中台関係の段階的接近と、「鍋でじわじわとカエルを煮るがごとく」と表現される中国の台湾同化政策について、でした。
例によってコメントは、両極端な議論もあれば洞察力の高い議論もあって(なんとなくアジアのページで発言する人が固定化されているようで気になりますが)、非常に活発なのですが、特に両極端の議論を読んでいてひとつ思い出したことがあります。

「人は、自分が発見したり構築したモノの見方にこだわる傾向がある」

どこで聞いたんだったか忘れましたが、たとえば科学的な証拠が2つ3つ示されて、判断の前提になる事実や条件を知っている人がいるとすると、その両方を考え合わせて、「これはこうに違いない。」「つまりそれはこういうことなのですよ。」といった判断や解説をしてしまう、そしてその考えに拘束されがちである、という話です。

(たとえて言えば、戦中の日本は悪→日本の総理大臣が靖国神社に献花した→悪が復活するきざしに違いない、みたいな推論です。)

そんなことを考えながら読み進めていると、Middle East and Africaでは、豚インフルエンザをめぐってコプト教徒が飼っている豚を排除するというエジプト政府の決定に関する記事がありました。「なんという浪費」というタイトルだったのですが、案の定読者コメントでは「イスラム教対キリスト教」的な軸を使った読み解きが目立ちまして、エジプト人からの「そうじゃないんだ」コメントも、焼け石に水的に受け流されておりました。投稿者の名誉のために申し添えると、The Economistの記事の中にも、そのあたりを匂わせる(さらりと、ですが)記述がなかったわけではありません。

そんな伏線にうまうまと乗って、あれやこれやと書き込む読者が多ければ、株主に対する誇らしげな数字を労せずして得られるThe Economist編集部としてはハッピーなんだろうと思います。いかにレベルが高かろうが、所詮ジャーナリズムであることを忘れないように、とこれは自戒以外の何物でもありませんが。

対策は・・・常にアタマをニュートラルにしておくことでしょうかね。言うのは簡単で、やるのはすごく難しいことですが。