新 The Economistを読むブログ

イギリスの週刊誌 The Economistを読んでひとこと

隣国との関係、そして世界

1月23日号の地域記事を通覧して思うことなのですが、中国と日本、中国とベトナムの間に横たわる領有問題(日本の場合は沖ノ鳥島に関する島か岩かの解釈も含む)についての整理の難しさは、もしかすると死者の数や歴史の長さこそ違うものの、中東和平問題(イスラエルとパレスチナ)に匹敵するややこしい問題であるらしいですね。

イスラエルの前政権がパレスチナと合意した1967年の国境を前提とし、その後占領した地域を相互交換することでイスラエルには利便性を、パレスチナには将来独立するうえでの国土を確保するとした和平調停案は、イスラエル新政権が踏襲を渋っていることから、なかなか日の目を見ません。アメリカのミッチェル特使が双方の妥協につながるような非領土的条件を提示しつつ妥協を模索しているようですが、妥協点もなかなか見出しにくい状況とのこと。

中国と周辺国の問題に関する記事を読んでいて感じるのは、特に読者コメントで、日本人もしくはベトナム人のものと思われるのはゼロなのですが、中国人もしくは中国のスタンスを代弁・強弁する書き込みの目立つことと言ったらありません。もっともこれは、すべての記事について言えることで、かつて「あるいはプロの書き込み屋みたいな人がいるのでは」、とも思ったのですが、どうもそうではなく中国もしくはその利益を代表する人たちがそれだけ国際的なメディアを通じた発言力を確保していると読むべきではないかと思えるようになってきました。その理由は「賛成」の投票をしている人の多さです。

しかしながら、中華思想の、そこが限界かなと思える特徴は、それこそ中東問題のような世界規模の議論については全くと言ってよいほどそれらの人からの書き込みが見られないということですかね。ま、中東問題のありようを遠く東アジアから議論しても始まらないというあきらめ方もあるかもしれませんが、日本も含めて世界は自分の周りだけで動いているわけではないわけですから、いったい世界をどのようなビジョンに基づいて幸せにしてゆくのか、というような視点でものを考えることが必要だと思います。人の振り見て我が振り直せ、とも申します。自らの権益を声高に喧伝するだけの、中国式発言方法は気質に合わないこともあって真似しようとする人は僅少でしょうが、世界の中で生きてゆこうと思うなら、やはり世界のあり方に思いをはせるだけの感性は大事にしたいものだと思います。