新 The Economistを読むブログ

イギリスの週刊誌 The Economistを読んでひとこと

見えないからこそ

1月30日号は表紙が最近発売されたiPadをもつアップル社のトップ、スティーブ・ジョブス氏の頭に後光が射している、というジョーク一色の絵柄です。今週はSocial Networkingについての特集記事があるので一寸分厚いです。

さて、Leadersを眺めていて思い浮かんだのは、先の見えない話がもたらす漠たる不安や非透明性に、なんとなく世の中が耐性を失いつつあるのではないかと言った、気配と言うか空気と言うか、そんな居心地の悪さでした。

−曰く、公告を許さないiPadの成功は出版・新聞などのメディア企業を救いはしない。−曰く、多くを期待する人民に対して高きを約束できない政府は成功しない。そして−曰く、具体性のない教書演説をする大統領は国民の支持を得られない。

さも本当らしそうな皮肉、いかにもそれらしそうな批判、あるいは国民の不満を代弁するかのようなその論調はさらりと読む分にはいつものThe Economistなのですが、自由主義と市場経済の旗手を自認する同誌の意見のわりに、どうも今ひとつ建設的ではない、と言う風に感じてしまうのです。

その理由ですが、ひとつには(多分こちらは共感いただける方も少なくないと思うのですが)経済危機からの本格的な立ち直りが特にアメリカにおいてまだはっきりと見えないところにあるのかもしれないと言うこと。ややもすると原理主義に近い市場経済重視を自信を持って語れるだけの基盤を、The Economistと言えども十分回復できたとは思っていないのではないのでしょうか。いまひとつには、こちらは言ってみれば私のインスピレーションなのですが、そのような不安だらけの現状に対してしっかりと開き直れるだけのパワーと忍耐力をどうも現代の世界は見失いつつあるのではないだろうか、というものです。これまでのどの時代に比べても世界は進歩し、そのスピードは速まっている、しかしそのスピードが必ずしも反映や発展を約束しないものだとしたら、その先に待つものは何なのか?

失われた10年は、いまや20年ではないのかとすら言われる日本ですが、じっと耐える忍耐力だけはあったように思います。でも耐えてるだけじゃダメで、そこから何か新しいものを、しかも具体的に提案することが、潜在的にではありますが希求されている。そんなふうに感じたのですが。

その意味で、日本にとって今はチャンス、のはずです。なかなかそうは思えないかもしれませんが。