新 The Economistを読むブログ

イギリスの週刊誌 The Economistを読んでひとこと

もしかすると上手く行きそうもない仕上げについて

3月6日号の最初のBriefingは、まさに今日実施されているイラクの総選挙について。サダム・フセイン以降の選挙としては二回目ですが、依然として中央政府部内で続く各勢力間の争いが選挙全体、そしてそれ以降の国政には大きな影を落としています。ポイントは、どのような政府が生まれ、それがどこまで内部抗争を収めてゆけるか、にかかっていると思われるのですが、そのプロセスにおいてたとえば民主制が一時的にせよ後退するような出来事があったとして、アメリカをはじめとする「国際社会」はそれを容認できるかというのも非常に興味深い点ではあります。

大量破壊兵器の証拠はついに見つからず、体制打破は民主化のため、と侵攻の理由を塗り替えたアメリカのやりくちは、自国内ですら批判のやり玉にあがったものですが、民主主義自体の価値に疑問符をつけるものではありませんでした。

歴史が教える通り、ギリシャそしてローマでは、都市国家における民主制、または元老院による共和制が国家の膨張に従って機能しなくなり、最終的にはローマによる帝政へと舵を切らざるを得なくなってゆきました。異なるものを内包するとき、公平かつ透明なコミュニケーションや意思決定は大変な重荷となります。アメリカ人は自国でそれをやりとげたとの自信からか、民主主義の万能を疑いませんが、日本をはじめとするアジア諸国がそうだったように、発展のプロセスにおいて相当期間権力を固定することは必ずしも民主主義に劣る選択肢ではないのではないか、という議論は依然として有効なのだろうと思うのです。アメリカは今回の選挙が民主主義の仕上げ、とでも捉えたいのではないかと思いますが、どうもその仕上げは上手く行かないのではないかと思えますね。

国際社会は、イラクの国民が自身の選択として国家のありようを決める時、それがどのようなものになるにせよ尊重し、受け入れるだけの冷静さと度量を持って対峙すべきであろうと、そのように考えます。