新 The Economistを読むブログ

イギリスの週刊誌 The Economistを読んでひとこと

日本は変われるか

ネットではすでに11月27日号が流れていますが、各メディアが報じた11月20日号の「The Economistによる日本特集」についてぜひ書きたいと思いまして、少し私見を述べます。

人口減少、無策の政府、外国人受け入れ、企業文化、イノベーション、年金問題、アジア外交、少子化そして夕張モデルに見られる超高齢化社会のあり方に関する議論と、老いて弱くなる日本について、かなり網羅的な分析を試みてくれています。これだけ「日本は」「日本が」と突っ込んだ英語による分析を目にすることはなかなか珍しいと思います。

「日本全国の夕張化」は、都会でも小学校の整理統合が進んだり、シャッター商店街が増えたりと、現象的に言えばすでに始まっているわけですが、でもだからと言って右肩下がりに日本全体が「ないものは仕方ない」と公共サービスの度合いを下げたり、無償・低償の相互扶助に活路を求めるしか術がないという風になって行くとは考えにくいと思われます。むしろ世界全体に高齢化してゆく国が多いとすると、それは先行する日本の介護産業にとって新たな成長機会となる可能性すらあるわけで。

問題は、いかにチャンスがあろうと戦略的な取組みをしないかぎり、それは単なるチャンスでしかなく、むしろ次々に見過ごして後悔するという負の連鎖のきっかけにしかならないという要素ではないかと思います。

たとえば環境産業が良い例で、ふつうに日本に暮らしている人は日本の環境技術が世界に冠たるものだと思っている(最低限、メディアは必ずそう報じる)のですが、その実環境ビジネスをやっている企業の多くが欧米のライセンシーで海外へ技術を売れないという縛りを持っていたり、自社開発の技術については英語のパンフレット一つなく、結果として技術的に劣る海外の競合他社が市場を占有していたり、政府による環境対策を例にとれば「国内のことしか対応しない」という法律の足かせがあって同様のニーズを持つ海外への対応がまるで遅れていたりするという現状は、ノモンハンで負けても相変わらず大言壮語し続けた(その実全く勝負にならなかった)関東軍を彷彿とさせるものがあります。

そう考えると、どのレベルであっても戦略的な対応が取れないとチャンスは逆に自らの無能を証明する判定器の役割しか果たさないということが良く判ると思います。象徴的なことを言えば、国家戦略の大切さを政策の柱としていたはずの民主党政権の体たらくぶりが、問題の難しさを表しているとも言えるのだと思うのですが、有言に対する国民の負託に応えられていない以上、党の内外を問わずこの問題にどう対応するのかという議論を起こすべきではないでしょうか。

というのがまず私の頭に浮かんだことなのですが、加えてもう一つ。

日本が高度成長を達成した60年代以降、あるいはそれよりずっと以前から、考えてみれば日本という存在はアングロサクソンの目から見てもそれだけ特異的というか、独自性の高い存在だったということの表れなのでしょうが、でもそうだとするとちょっと気になるのが、日本人は同じような視点で「イギリスは」「アメリカは」といった議論をしているのでしょうか?という点ですね。そこまで論じてくれることを期待させるメディアが私の周りには見当たらないのがちょっと残念です。