新 The Economistを読むブログ

イギリスの週刊誌 The Economistを読んでひとこと

オサマ・ビンラディン死す

ネット版のトップは、何と言ってもこの記事です。

2011年5月2日は、やはり歴史に残る日として記憶されるのだろうと思うのですが、それがどの程度人類に影響をもたらす日なのか、いささかその影響を測りかねています。

The Economistの記事も、数は多いが今一つ盛り上がりに欠ける読者コメントも、一様に切れ味は悪く、「テロとの戦争は終結しない」「オサマ・ビンラディンは殉教者になる」「パキスタン政府は信用できない」等々の、言ってみれば近視眼的な話ばかりで、双方の当事者〜具体的にはアメリカ政府とテロリストたち〜にとってビンラディンの死がどのような意味合いを持つのかについての深い洞察は見て取れません。

リビアカダフィ大佐もそうかもしれませんが、「独裁的で自らを高く置くもの」について、草の根層がNoを言いだしている流れと併せてみれば、アメリカの非をあげつらうビンラディンの主張が何か聖なるものへと昇華させられる余地は、実はあまり大きくないのではないかと見ています。「過去のアメリカより未来の自分」という流れのほうが強くなっているのだとしたら、アメリカとして恐れるべきはむしろそちらの流れではないのかと。双方を裏切り続けたということで、特にアメリカからは信頼されていないはずのパキスタン政府ですが、政府はアメリカに恩を売ったと思い、テロリストはパキスタン政府を呪い続けるなか、せいぜいアメリカができることはといえば、引き続きテロリストを排除しようとつとめることと、政治的には勝ち馬に乗ろうとすることくらいではないかと。

ネット社会に端を発して民衆の中から出てきたということで、中東で進む民主化要求の流れはアメリカを向いたものにはならないだろうと思われます。同時にテロリストを向いたものにもなりづらく、「未来の自分たち」にこそ関心が集まるのではないかと推察するのですが、仮にこの読みが当たっているとすると、アメリカがその内包する傲慢さを持ったまま付き合える相手ではないのではないかと思います。軍事的勝利に酔うアメリカにそれが見えているか、はなはだ不安に思います。

慎み深い交渉こそが求められているとするならば、さしあたりオバマ政権のスタンスは悪くないと思うのですが、上のような状況ですのでアメリカ人の間ではひたすら不人気をかこつでしょうね。やれやれ、といったところですが。