新 The Economistを読むブログ

イギリスの週刊誌 The Economistを読んでひとこと

終わりか、または継続か

6月11日号の"The end of cheap goods"(Business and finance)は、中国製の廉価品がそろそろ限界にきつつあるという観測と併せて、中国の製造業では合理化への関心も高まっており、まだまだ競争力は尽きない、とする見方の両方を挙げて、大局的にはコスト競争力の体質が変わってきていることを示唆する内容となっています。

長年米欧向けの繊維製品を扱っているトレーダーによると、これまで中国が強みとしてきた安価な人件費に代表されるコスト構造は大きく変わりつつあり、中国でのコスト上昇に伴い、更なるフロンティアへと製造基地が移って行く、しかしこれまでの中国にとって代われるだけのインフラや経済基盤を持った国は見当たらず、流れは拡散する方向にある、ということのようです。実際に日本の企業でも、これまで中国を製造拠点としていた繊維産業などがバングラデシュやラオス、カンボジアなどへの移転を検討または実施しつつあるのが現実なので、このあたりはやや「後追い」的な記述に見えます。

他方で、ハイテク産業を中心として、生産合理化への関心は高まりつつあり、それがひいては製品価格を大きく引き下げる要因になるという見方もあるようです。でも。

私は常々The Economistの弱点は製造業の分析にあり、と感じているのですが、今回もその愚を犯したように思えてしまうのは、製造業の存亡を語るとき、コストさえ語れば足りるとするその視点にあります。むろんコストはおそらく最大の要因ではありますが、合理化につながるイノベーションやパラダイムの転換を生むのは何より人間のモチベーションではないかと思うのです。

中国のハイテク産業が合理化に血眼になれば、確かにそれなりの改善はなされると思うのですが、それを成すに足る人間作りを中国が行ってきたのかどうか。確かにアメリカへの留学生は増え、若手研究者の数は多い、というあたりが期待させる要素ではあろうと思うのですが、しのぎを削る製造現場の要求とはいささか距離があるような気がしてなりません。中国がこの距離を縮めるとき、はじめて真の産業化が達成されたと言える、くらいの論評をホントだったらしてほしいものなのですが。