新 The Economistを読むブログ

イギリスの週刊誌 The Economistを読んでひとこと

決められないこと、遅いこと

2月18日号のBusinessには、かつて栄華を誇った日本の電機産業の凋落についての分析記事が、そしてFinance and economicsには日銀によるデフレ対策についての、短いながら立場を明快にした論評が載っています。

電機産業の凋落についてはNECをその例に取り上げ、「技術は素晴らしいが、NTT依存体質とそこからの脱却を目指した合理化・多角化プロセスにおける間違った意思決定」が今日の低迷を招いた、とされています。The Economistは、他社も似たようなもの、と言いたいらしいですが、NTTファミリーに見られたような、特殊仕様への特化とそれによるガラパゴス化は、最低限世界で戦い続けた家電大手には当てはまらないのではないかと思います。むしろ製造技術で低コストと戦ってきたこれらの会社が極端な円高や製造技術の一般化(訳知り顔をして言えば、「コモディティ化」などと言ったりします)によって、日本で製造することの市場優位性を発揮できなくなったことのほうが大きいように思います。後付けの解説をする気になれば、たとえばバブル期に技術輸出を伴う先行的投資をして、中国内陸部やバングラデシュに韓国を上回るディスプレイ工場を立てておけばよかった、的な「ありえないほど辛口な」批判はいくらでもできると思うのですが、では実際その場面でそんな意思決定ができたのかと言われると、さすがにそれは難しかっただろうと思います。なぜなら市場環境に対して活かすべき強みが、その時点では(どうかすると今でも)ほぼ間違いなく「製造技術に立脚したものづくり」だったからだろうと思うのです。このあたり、NECがNTTの仕事だけでは成長が難しくなり、合理化・多角化を目指した投資を行ったプロセスの失敗とは多少以上に違うような気がします。「選択と集中」で市場から消えていった数々の家電製品や負け組のパッカード・ベル社を買収したパソコン事業などは、どちらかというと外部環境への意識が先行した意思決定だったのではないでしょうか。NEC一社についての分析は、まあなるほどねと聞いてあげるとしても、電機業界全体の凋落がこれと同じような話であると言い切るにはかなり無理があるように思います。私はよく「The Economistの弱点は製造業の分析にあるのではないか」と言うのですが、この記事もその証明をしてくれたように見ています。

他方でマクロ金融政策については、日銀によるコトバを選びつくされたインフレターゲット論(メド、をそのままmedoと使っています)、およびさらなる金融緩和の拡大について、経済危機の最中にもっと中央銀行が頑張ってくれていれば、という批判の声を引用しつつ、むしろ経済全体のバランス論を重んじるべきとの立場をとっています。これらの政策に対する株式市場の好反応は認めつつも、このままでは人口減少、世界経済の不調、続く円高が企業収益を食う根源になる、と言いきっています。このところ経済の縮小が続いている日本について、日銀一人がどうするというよりは、銀行・企業そして政府それぞれが日本再生への役割を果たすことが重要になる、という結論です。確かに、いかに中央銀行がおカネをコントロールしたところで、誰も借りず、誰も使わない状況で経済が伸びるわけもないわけですから。

二つの記事を通して読めるのは、何か急激に、日本が産業による国家経営の適地ではなくなってきていることの証明であるようにも感じます。もしくはそこに収れんする問題こそが課題を明確化してくれるヒントなのではないかとも思うのですが、いかがでしょうか。