新 The Economistを読むブログ

イギリスの週刊誌 The Economistを読んでひとこと

期待の星

二日続けてインドネタで恐縮ですが、10月19日号のSchumpeterには、インドの名だたる大企業経営者が、「次の首相」「決めることのできる政治家」として期待するナレンドラ・モディ氏を巡るあれこれについて、なるほどと思える話が載っています。

「ナモ」とあだ名されるモディ氏は、グジャラート州の首相として同州の経済的成功を取り仕切った功績で注目されている政治家ということです。

曰く、インド経済が思ったほど伸びない、もしくは大企業にとってさらなる成長を期待するステージに立った時、決められない政府や現状維持主義の国民会議派による政治は足枷以外の何物にもならないことについて、停滞の中にある現政権よりも、ヒンズー教徒を中心としたBJP党のモディ氏なら変えてくれる、という期待があるというわけです。

個人的には大変優秀な人も多く、英語も巧みで議論好きなインド人ですが、政府とつき合っているとたまに「なぜ?」と思わされるとんでもない出来事に出くわします。先週も、日本で開かれる研修に参加するはずだったインド政府の役人が前日にキャンセルを言ってきて、キャンセル料等を払ってくれるという話はもちろん全くないわけですが、その前の週に熊本市で開かれた水俣条約の外交会議にも、申込書を出しておきながらついにインド政府代表団は来ませんでしたし(西田の個人的な二連敗?)。

役人が出張しようと思ったら、大臣まで含めて数多くのサインが必要だとか、そもそもインドの役人にサインさせるのはとてつもなく難しいとか、昔から都市伝説的に語られているストレスは、私たち外国人にとってそうであると同じかそれ以上に、インド財界人のストレスになっていることが見て取れます。

たとえ話でよく言うのですが、5人でバケツリレーをするとして、4人は50キロのバケツを持てるのに、一人だけ10キロしか持てないとすると、そのリレーの能力は10キロになってしまうわけで。若い国民、優秀な民間企業、大きな市場、決められない政府。首相だけ変えれば何とかなるという話でもないような気はしますが、期待感が高まる状況もまた、理解できるかなと思います。いや、二連敗の憂さ晴らしというわけでもないのですが、インドの記事に目が止まったことの、それが理由なのかもしれません。