新 The Economistを読むブログ

イギリスの週刊誌 The Economistを読んでひとこと

そういうことなら

1月18日号のLeadersは、技術革新がもたらす雇用体系の変化(労働集約型の業務が機械化されるとともに、新しい機械やシステムの導入が新しい雇用を産み出す)についての論評がトップに来ていますが、二番目の記事は日本の集団的自衛権行使容認が安倍首相の靖国神社参拝によって難しくなる(が、必要だ→だから参拝はしないほうがよい)との見解を述べています。

靖国神社のあり方については、日本政府も説明努力をされているのかもしれませんが、A級戦犯を祭ったことばかりが喧伝されていて、それがあたかもA級戦犯「だけ」を祭った場所であるかのように記述されている点が気になるところですが、どう言い変えてみても、この点を明快に説明して、疑義を全く晴らすだけの論理を構成するのは難しいと思います。

他方で普通の国として集団的自衛権の行使が容認されるべきであり、それがひいては東アジアの政治的安定をもたらす、という考え方そのものは十分な説得性を持つものであろうと思います。そうであるなら、利害が対立する国々は、当然のようにこの二つの問題を絡めることで、全体の妥当性を低めようとする戦略を取るであろうことは火を見るよりも明らかなわけです。

そんななかで、弱みを抱え込むことを承知の上で靖国神社を参拝したことの持つ意義はどこにあるのか。実はどのメディアもそんなことは言っていないのですが、そうまでしても(ある意味で中国や韓国が言い立てるとおり)対アングロサクソン、もしくは対ヤルタ体制への「切り札」を懐の奥底に抱えていることを、黙示的に示したかったのではないだろうか、と言う気が私にはしています。

「積極平和主義」という考え方も、言ってみれば日本発のビジョン構築への足掛かり、と捉えられなくはありません。そうであることは喧伝せず、あくまで現状置かれた立場を踏まえたプレゼンテーションになっているので、それが物議を醸すことにはならない状況ではありますが、この3点(靖国参拝集団的自衛権行使容認および積極平和主義のビジョン)を前面に押し出すことは、日本外交にとって一種の「賭け」なのではないでしょうか。

勝負なら、できればバクチ的な勝負ではなく、勝つための布石を十分に打ったうえで臨んでほしいものですが、時代はときにそんな時間的猶予を許してくれないこともある、ということなのかなというのが素直な感想です。だとしたらなおのこと、今後の靖国参拝を左右するのは中韓との関係もさることながら同盟国、もっというとアメリカとの関係において、どれだけのバーゲニングパワーを確保できるかという視点ではないだろうか、そんなふうに思うのです。