新 The Economistを読むブログ

イギリスの週刊誌 The Economistを読んでひとこと

100年の・・

・・孤独、というと焼酎の銘柄ですが、The Economistにとって100年の節目にあたるのは、大英帝国のプライドを守った第一次世界大戦開戦の年(1914年)から100年が過ぎた、ということのようです。年の変わり目に同誌が何を言っておきたかったのか、の一つが1月3日号のBanyanに出ています。

引き合いに出されているのは昨年のダボス会議における安倍首相の演説内容、すなわち「現在の東アジアは第一次大戦前夜の欧州に似ている」、というものでして、日本の政治家の発言が政治的なメッセージとしてThe Economistに取り上げられること自体かなり稀だと思うのですが、そのような扱いを受けたことは注目に値するのかな、と思います。

もっとも、その後の安倍首相の発言を想起するに、必ずしもこの時の発言をなぞるものばかりではないことから、国際会議向けに外務省の知恵袋が振りつけた一回限りの付け焼刃、だったのかもしれません(失礼)。

いずれにせよ、大量破壊兵器の存在や、(地域)紛争によってもたらされる便益への期待がいずれの側にも極めて小さいことから、100年前のように「だったら戦争だ!」という世論は極めて起きにくくなっていることは確かだと思います。

とは言え、二国間の摩擦そのものは厳然として存在するのですから、それを解決するために必要となる、かつて100年前に戦争が担ったと同じような外交的措置に対するニーズがなくなった、というわけではないでしょう。

それは何かと言うと、①ある程度の時間と戦略と資源投入を要する対決であること、②正義の完遂のための行為であること、③経緯を含めた展開が「見える化」されていて、国際世論の評価対象になるものであること、④賠償金など①で投入した資源に対するあきらかな経済的便益をもたらすこと、などの条件を満たす「何か」、ということになるのだろうと思います。

そう考えると、現場で発生する偶発的な武力衝突が、戦略的な外交措置としての「戦争」に発展する可能性はごく小さいように思えますし、実際のところ日本人の多くは、たとえ小規模な衝突が起こったにせよ、全面的な戦争になることはない(アメリカの存在+憲法9条)と思っていることでしょう。

そうすると、求められるのは短期・長期の視点から紛争を回避しつつ利益を確保するための施策、と言うことになるのだろうと思います。おりしも2015年は第二次大戦終了後70年の節目でもあり、安倍政権が上記の①~④を満足させるような外交手段を用いて対中国外交を平和的に仕切れるのか、そこは見ものかな、と思っています。

そう考えると、今回の記事によって世界がアベの言ったことに注目してくれるとするならば、それは特に③を考えるうえで多少のアドバンテージになるのではないかと思います。同時にそれが国際世論から見れば賞味期限の過ぎた共産主義レジームを捨てられない中国の弱みを突くことにもなる可能性もあり、そうだとすると、この記事がもたらしてくれるものは結構深い、ということにもなりうるのかなと思います。さて、アベさんは何をどう言うことになるのかな。