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新 The Economistを読むブログ

イギリスの週刊誌 The Economistを読んでひとこと

遠慮の通じない社会に対して

3月7日号のAsiaには、東京大空襲70周年に関係して、第二次大戦と日本の関係に触れた記事が出ています。曰く、原爆と併せて圧倒的に市民が空襲の犠牲になった事実を、戦後の新たなパートナーであるアメリカに対して「ことを荒立てる嗜好を持たず」(=遠慮して、と言うことだと理解します)、社会に十分訴求してこなかったとのこと。

他方で10年ごとの節目に総理大臣が出すことが慣例化した感のある「談話」について、「市民の犠牲を認めるのが難しいならアジアで軍が犯した悲劇も認めづらいだろう」との見方でその方向性をけん制しています。

The Economistも、基本的に戦勝国のメディアであることに変わりはないので、戦後レジームの枠組みに対するチャレンジには基本的に否定的です。言ってみればその枠組みの中で原爆や東京大空襲に関する批判が出てくる分には「ガス抜き」として認めてやろう、的な発想なのではないかと思われます。

もしもそうであるならば、日本が発言すべき内容は、敗戦後の民主化プロセスを経て、国際社会の利益に貢献してきた実績から説き起こすのが、結局のところ日本が世界と折り合える着地点として最も説得力を持つのではないかと思います。

その基礎を形作ったものが一つにはアメリカ由来の民主主義・自由経済であり、今一つはその強大なアメリカにチャレンジして一敗地にまみれた経験と、その中で鍛え上げられた人材ということではないかと言う議論を、枠組みを尊重する形で発信してやれれば、国際社会の視点からも納得できる意見になるのではないでしょうか。

20世紀を通じて人類は進歩と発展を経験した、その中で時には敵味方となり、後半の長い時間は同盟関係の中で、結局は進歩発展につながるさまざまな「やりとり」をした、戦争もまたその「やりとり」の一類型であり、その中で多大な犠牲を払わなければいけなかったほど人類は未熟であった、しかしながらそれを克服して今日の国際社会がある、その中で捉えられるべき多数の犠牲は、悼むべきものとして永く留め置かれなければならない、ということですかね。

このように、被害者としての立場と加害者としての立場の兼ね合いは、時間軸を加えて視点を広げることで収斂させることが可能だろうと思います。過去や歴史は確かに大事です。しかしそれは今を生き、明日へと向かうための糧であるべきであって、明日への足枷になるべきものでない、という点をしっかりと発信する必要が、日本にはあるのではないかと思います。