Uberが変えるクルマ社会のあり方
ネットでは9月3日号が流れています。
Leadersのトップには、ライドシェアビジネスで注目される、というか米欧ではトップを走る2009年創業のウーバー社、そして個人向けの輸送サービスビジネスの今後に関する大変興味深い記事が出ています。
ウーバー社、あるいはライドシェアビジネスと言っても、タクシー業界の政治力や交通安全の規制が厳しい日本ではほとんど使われていないのでピンとこないかもしれませんが、スマホのGPSを使い、白タクを自分のいるところまで呼んでもらって行きたいところまで運んでもらう、その料金は事前にアプリの上で提示され、クレジットカードで決済される、というサービスです。
ウーバー社はこのサービスの先発であり世界的な大手(ただし中国ではビジネスモデルを真似したDidi社の後塵を拝し、確か撤退することになったはず)です。
ライドシェアは、今や世界の個人向け輸送サービス市場の4%を占め、2030年には25%を占めるだろうと予測されるほどの成長ぶりを示しているセクターです。
このサービスと、日本でも盛んに報道されている自動運転技術の組み合わせが、輸送サービスをどのように変えてゆくのか、その結果クルマの姿かたちもどのように変わるのか。
The Economistが描く変化の一端は、個人でクルマを持つ人が少なくなるという社会すらありうる、というものです。クルマが必要な時はウーバーで呼べばよい、みたいな。
そうなると、例えば車庫や駐車場は不要になるかもしれませんが、車寄せや一時停車のためのスペースはむしろ必要になるわけで。
古いマンションの駐車場は公園になり、逆に遊び場は車寄せになったりするのかもしれません。果たしてどんな変化が訪れるのか・・。
おそらくこの記事でThe Economistが伝えたかったのは、近未来にかけて確実にやってくる変化なのに、その変化の確実な形がまだ見えていないことへの、そういったワクワク感だったりエネルギーの肌触りだったりするのだろうと思います。
実は最近、アメリカでウーバーを使えるかもしれないチャンスがあったのですが、日本から持参したスマホのローミングの調子が今一つで、結局タクシーを呼んでもらう、という出来事がありました。せっかくのチャンスだったので勿体ないことをしたなあと思っているのですが、過疎化の進む日本の地方都市や限界集落など、ライドシェアサービスが福音となるであろう地域は日本にも少なくないと思います。なので、是非一度どこかで自分でも体験して、使い勝手をコメントしてみたいと思っています。