新 The Economistを読むブログ

イギリスの週刊誌 The Economistを読んでひとこと

ヘマな独裁者

1月6日号はMiddle East and Africaのページで死刑となったサダム・フセインについて書いています。

中東地域を巡る政治的バランスと石油に恵まれた彼の上昇期。イランへの対抗措置としてアメリカもまた彼の権力基盤強化を望んだ日々。周囲も意外に思ったクウェートへの全面侵攻。湾岸戦争に根ざす大量破壊兵器廃棄への強い圧力と国内政治のために求められた高圧的姿勢。同時多発テロ後のアメリカを中心として、その姿勢に対する反応がどれだけイラク戦争への決意を強める結果となったことか。そのような中、独裁者であるサダム・フセインの排除は国際社会からの賞賛を受けこそすれ非難されるべきものでないとの判断がアメリカに働いたのでは、との見方をしています。

The Economistは続けます。
サダム・フセインが作り上げた体制が崩壊すると同時に、彼が作り上げた微妙な政治的バランスもまた崩壊し、シーア・スンニ・クルド間の争いが激化しているのが現状です。バグダッドには『独裁者による安定はアメリカによる混乱よりもマシ』といった落書きが散見されるようです。現段階では自らを殉教者になぞらえて死んでいったサダム・フセインの伝説を確定させるのは難しいでしょう。なぜならシーア派クルド人にとっては喜びの日でもあったのに、かつて独裁者が実現した『安定したイラク』を失ったアラブ人の怒りはまだ収まらないからです。」

イラク戦争を終始一貫して支持し、イラクの混迷度が深まる一方と言う段階にあってもThe Economistは「自由貿易とそれがもたらす利益と繁栄のために」国際社会に対してブッシュ政権のイラク政策への協力を呼びかけてきました。

そんな同誌の論調としては、かなり慎重というか、イラクが被害者と捉えられる事もやむなし、という内容になっています。米中間選挙の結果やブッシュ政権の現状を見ると、これ以上強硬な意見も唱えづらいということかと思いますが、権威ある国際メディアの意見とは、単にそんなもんだったのかと言われると、実はそうだとしか言いようがありません。

前編集長のビル・エモットが退任したことと、イラク戦争を巡る同誌の強硬意見に反して大量破壊兵器が未発見に終わったことがどこまで連動するのか判りませんが、彼が退任記事に書いたように、主義主張は100年一貫していても、それがかならずしも正しい方向性を打ち出すとは限らないと言う点を以って瞑すべきと思います。正しい事実認識に基づいた正しい意見と正しい論理、そして間違った結論。なんて皮肉な組み合わせ、と思われるかもしれませんがThe Econonist誌が全て正しければ、今頃人類はすべて神のように暮らしているかも知れないわけで。

話は全く飛びますが、昨日Sushiの次はSobaではないかと書いたことについて、アメリカでベンチャービジネスの社長をしている人と、アメリカ暮らしが長かった会社員の知り合いにそれを話したところ、「あの音が妨げになって、流行らないと思うよ」との反応を頂戴しました。確かにそうかも知れませんが、青山の高級蕎麦屋には、相変わらず青い目のお客さんが足繁く出入りしています。麺をすするのも、文化的障壁を乗り越える例の一つだとすれば、自由貿易主義がイスラムを理解することも決して不可能ではないかもしれません。