新 The Economistを読むブログ

イギリスの週刊誌 The Economistを読んでひとこと

大企業が直面する資本主義の制度疲労

10月24日号のThe Economist誌がLeadersのトップ記事に取り上げたのが、インターネットを基盤にする新興企業と既存大企業の比較記事です。同誌が言いたいのは、新興企業がどれほどネットの利便性を活用して高収益のビジネスモデルを築き、さらには株式市場に頼らない資本獲得を果たしているか、ということだと思うのですが、むしろ私の目に留まったのは、特にアメリカで大企業を襲いつつある資本主義の制度疲労とも言える現象です。
企業は株主の利益のために。アメリカでビジネスを勉強したことのある人なら、金科玉条の教えとして身についているはずのコトバですが、特に上場している大企業にとってはそれが極めて見えにくくなっているのは、もしかすると日本も同じなのかもしれません。
株式は広く売買され、大株主は機関投資家によって組成されたファンドだったりします。だとすると、経営が言うことを聞くべきオーナーの代表は、多くの株式を持ってくれているファンドマネージャーということになるのでしょうか?いえ、彼等もまた金融機関と契約しているプロに過ぎないので、目指すところは自身が手がけるポートフォリオの収益最大化であること以外はなく、そうなると経営者は肥大化した組織の各部分を担当取締役や事業部長たちに任せながら、何とか短期的収益目標と長期的成長を果たそうとします。
大企業でそのような職種につくエリートたちは十分に優秀なので、結果としてビジネスを仕切るのは、株主でも経営者でもない、優秀な事業責任者たちの集団だったりするわけです。ここまでの絵姿はあたかも日本のことを読んでいるようにすら感じます。
日本と決定的に違うのは、その事業責任者たちを取り込むために1980年代以降ストックオプションが大流行になった、というあたりでしょうか。自分たちが株主になることは株主の利益を事業責任者も尊重してくれるようになるはず、という株主たちの目論見は、自らの利益を最大化するために粉飾めいた決算をする事業責任者たちが現れるに至って大きく崩れ去れりました。結果としてエンロン事件に端を発する企業会計の見直しは、上場企業にとってさらなる足枷となったわけです。
 というわけで、短期の収益、長期の成長、株式市場が求める透明性と説明責任、誰かよく分からない不特定多数の「株主」と、代理人として数字のことしか言わないファンドマネージャー。アメリカの大企業経営者が直面している日常を単語で現わすと、どうもこういうことになるらしいです。
 そこに現れた新興企業はいずれも少人数で、経営と所有が合致しており、あれこれうるさい株式市場の制約条件を必ずしも絶対とはしない資本の柔軟性(いわゆる『プライベートエクイティ』です)を持ってスピード感あるビジネスを仕掛けてきているわけで、双方を比較すると、あたかも恐竜と小型哺乳類ほどの差異を感じます。
 ここで私が感じるのは、両者間に対決的な競争が起こっていて、どちらかが勝ち、どちらかが負けるということではなく、公平に見て大企業の経営者が置かれた環境というのが典型的な制度疲労状態そのものではないのか?ということです。自分たちの専門的言語を共有できない(だから日本ではモノ言わぬ、となる)株主と優秀な事業責任者という構図は、実は日本の大企業にもそのまま当てはまります。幸か不幸か、日本の新興企業はどうしてもプライベートエクイティの獲得より上場を目指すインセンティブが強いと思われますので、国内的には制度疲労として目立つことが少ないのではないかと思われます。しかしながらネットの世界の話ですので、このような新興企業が日本を含む世界の市場を、獲得するとすれば一気に、という事例も予測できると思います。そうなったとき初めて、私たちは株式市場を軸としたアメリカ型資本主義の制度疲労を目撃することになるのかもしれません。