新 The Economistを読むブログ

イギリスの週刊誌 The Economistを読んでひとこと

成功した取り決めに戻るということの功罪

The Economist電子版には、かつて国際的な問題となったオゾン層破壊物質を削減した「モントリオール議定書」を見直そうという記事が出ています。この国際取り決めの名前を知らなくても、以前はときどきマスコミに取り上げられていた「オゾンホール」という現象についてご記憶の方は少なくないのではないかと思います。

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この議定書は、国際的な環境の取り決めを行ったものとしては先進的な取り組みで、その後これをひな形として様々な取り決めが行われるようになったのですが、他の取り決めよりずいぶん先に始まったこと、まだ先進国がおカネを持っていた時代だったこと、おカネの使いみちが限られていたこと、おカネの使途に関する各国の発言権が強かったこと、あれこれうるさいことを言われなくてもおカネが使えたこと、そして何より対策技術がしっかりしていたことなどにより、オゾン層破壊物質の削減は成功したのでした。

実際には、まだ大気中を漂っている(成層圏に達していない)オゾン層破壊物質の効果が出ていない(今後出てくる)部分もあり、The Economistが「成功した」と結論づけているほどの評価ができるかというと、そこは評価の分かれるところだと思うのですが、その後のいわゆる「多国間環境条約」が、国連主導の色彩を強めると同時に透明性確保の縛りがきつくなり、結果としてスピーディな対応が取りにくくなったことや、対策技術が高価なものであるがゆえに広がりにくいなど、数々の困難に見舞われたことに比べると、相対的にその出来は良かったと言えるのだと思います。

で、問題はオゾン層破壊を抑止したこの議定書で認められてきた代替技術も地球温暖化を進めてしまうという点で、The Ecomomistの主張は(うまくいった)この議定書を延長・拡大して地球温暖化対策を、というところにあります。

おカネの使途に関する各国の発言権が強くなり、国連の色合いが弱まれば、成果より透明性を求める官僚主義的な色彩は薄まると思うので、その点は歓迎したいと思います。ただ残念ながら現在の多国間環境条約、そして国際的な資金の流れは必ずしもその方向に向かっていない、むしろ国連主導の流れが既得権のようなものを持ってしまっていて、多くの化学物質や環境保護の対策が国連主導でないと動かないような仕組みになってきている、という流れにあり、モントリオール議定書はそういう視点から見るとやや趣を異にした取り決め、とみられている点についてどのような調整がなされてゆくのかが気になるところ、ですかね。

透明性や説明責任もたしかに重要だと思うのですが、温暖化対策については特に、待ったなしの対応こそが優先されるべきではないかと。