新 The Economistを読むブログ

イギリスの週刊誌 The Economistを読んでひとこと

Priceyの反対語

10月1日号のBusinessには、ついにスマホ向けのゲームビジネスへと踏み出した任天堂の戦略に関する比較的好意的な論評が出ています。

曰く、コンソールビジネス(据え置き型ゲーム機)で一世を風靡した同社も、最近はスマホゲームに押されて売り上げの柱であるハードウェアの売れ行きが芳しくないところ、他社とのアライアンスで成功した「ポケモンGo!」で突破口が開けたという分析です。株価は急上昇したものの、その後任天堂の取り分が少ないことを反映して急落したことなど、つい最近さまざまなメディアで報じられたとおりのお話も。

記事が注目したのが、これから来年にかけて市場投入されるというスーパーマリオスマホ版についてです。専門家の見立てによると、世界で15億ダウンロードほどの需要が見込まれているとのこと(視点は違いますが、供給インフラとしてのスマホの凄さを改めて実感する数字ですね)。

で、任天堂がコンソールを捨てるかというとさにあらず、最近になって発表された同社の戦略によると、他社とのアライアンスによるスマホゲームの開発などは進められるものの、コンソールビジネスを捨てる方向にはなく、その意味でも今後どうなるか予断を許さない状況にあるということだと思います。

The Economistに言わせると、任天堂のコンソールは"Pricey"(お高い)だそうで、辞書を見るとその反対語はValue(お値打ち)だと思うのですが、The Economistがマリオやポケモンを作った任天堂に対して評価したコトバは"Fantastically good"なゲーム制作者、ということでした。同社がコンソールビジネスをどんなふうに展開するのか、興味を持って見つめたいと思います。

グローバリゼーション退潮?

10月1日号のThe Economistは特集記事で今日の世界経済に関する多面的な分析と、様々な場面で疑問を呈されるグローバリゼーションについての基本的な支持を旗幟鮮明にする分厚い記事を載せています。

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曰く、自由貿易で奪われる雇用もあり、移民政策が受け入れ国で生じさせる軋轢もあり、投資の自由化が許してしまう税の脱漏もあり、規制緩和が芽を摘んでしまう新興企業もあるだろう、そうだとしても「それを公正で有効なものにする」という視点に立った政策的な目的を見失わない限り、グローバリゼーションは選択肢と機会を与えてくれるものであることは間違いがないので、そのように仕向けられるべきではないか、というお話です。

The Economistがここまで守備的な話を書かなくてはいけないほど、世論におけるグローバリゼーション志向は退潮しているのだろうと思います。アメリカ大統領選挙におけるトランプの善戦しかり、ヨーロッパにおける移民問題しかり。

他方で安倍政権は粛々とTPPの国会承認を優先的政策課題と位置付けていますが、それをThe Ecoomistの記事と重ね合わせてみると、えっと思うくらいに骨太で肝の据わった政策であるかのように見えてくるから不思議です。

問題は、そういった全体観へのレビューがほとんどメディアで取り上げられないまま国会審議が続いているというあたりではないかと思われます。書き方を一歩間違うと、安倍政権をヨイショしているように読まれかねなくはない話なので。

いやいや、あるいは議員もメディアも分かってないだけなんじゃないの?という声も聞こえてきそうです。分かっているなら成果として喧伝されるはずではないのか、ということで。

静々と、世界経済をリードする、そんな覚悟でTPPの国会承認が取り付けられようとしているんですかね?仮にそう質問すればそうですと答えないはずはないので、実態がどうなのか、ぜひメディアには裏付け取りをお願いしたいところ、ですかね。

速報 2016アメリカ大統領選 第一回テレビ討論について

The Economist電子版は、第一回テレビ討論の結果について明らかにクリントン候補の一本勝ちであった、という明快な評価を下しています。

序盤戦ではマイペースで良い感じだったというトランプ候補ですが、司会者から振られたオバマ大統領の出生地問題で、明らかな墓穴を掘ったということです。The Economistもその点を重く見たらしく、記事では一問一答を詳しく伝えています。

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要するに、最近になってなぜこれまでの主張を変えたのかについて明快な説明ができなかったこと、大統領候補としてそれをどう思うのか、納得的な説明が一切なかったことが明らかになるやり取りであった、ということのようです。

マイノリティの扱いはアメリカ政治に置いて大変敏感な要素であることは議論を待ちません。トランプ候補は以前にも戦没者の遺族を侮辱したと言われて支持率を大きく下げた事件がありました。

今回もそれと同様に、証拠など無視して自らの思い込みにこだわるという考え方を暴露するような振る舞いを、あろうことかテレビ討論で、アフリカ系アメリカ人を含む移民の子孫たち(二世)のすべてに該当するような点について見せつけてしまったということでしょう。

これに対して、序盤戦は防戦一方だったクリントン候補が次第にペースを取り戻し、締めくくりの段階で言ったとされる言葉は重みをもちます。

”コトバは、大統領選に出ているものにとっては大変重要です。そして大統領になったなら、それはさらに重要になります。なので私は、日本や韓国その他の国にいる我々の同盟者に対して、我々は相互防衛条約を持ち、それを尊重するということをお約束したいです。

アメリカのコトバが有効であることは重要です。それについて私はこの選挙戦が地球上の多くの国においてリーダーたちの一部に不安や疑問をかきたてたことを知っています。私は彼らの多くと話をしました。でも私は、私自身と、そして多数のアメリカの人々のために言いたい。アメリカのコトバは有効であると。”

明らかなる一本勝ち―その評価に間違いはなさそうです。

シン・ゴジラの成功に関する読み解き

The Economist誌の9月24日号によると、シリーズ中でも特筆すべき大ヒットになっているという「シン・ゴジラ」が示唆するものは、よく言われる地震津波などの災害に加えて、増大する中国の軍事的脅威、あるいは軍国主義に戻ろうとする安倍政権の強引さではないか、とのことでして、いや、さまざまな読み解きがあるものだなあと。

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ま、そのくらい注目されているというのは悪い話じゃないと思うんですけどね、若干の誤解を恐れずに日本を理解してもらううえで。

成功した取り決めに戻るということの功罪

The Economist電子版には、かつて国際的な問題となったオゾン層破壊物質を削減した「モントリオール議定書」を見直そうという記事が出ています。この国際取り決めの名前を知らなくても、以前はときどきマスコミに取り上げられていた「オゾンホール」という現象についてご記憶の方は少なくないのではないかと思います。

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この議定書は、国際的な環境の取り決めを行ったものとしては先進的な取り組みで、その後これをひな形として様々な取り決めが行われるようになったのですが、他の取り決めよりずいぶん先に始まったこと、まだ先進国がおカネを持っていた時代だったこと、おカネの使いみちが限られていたこと、おカネの使途に関する各国の発言権が強かったこと、あれこれうるさいことを言われなくてもおカネが使えたこと、そして何より対策技術がしっかりしていたことなどにより、オゾン層破壊物質の削減は成功したのでした。

実際には、まだ大気中を漂っている(成層圏に達していない)オゾン層破壊物質の効果が出ていない(今後出てくる)部分もあり、The Economistが「成功した」と結論づけているほどの評価ができるかというと、そこは評価の分かれるところだと思うのですが、その後のいわゆる「多国間環境条約」が、国連主導の色彩を強めると同時に透明性確保の縛りがきつくなり、結果としてスピーディな対応が取りにくくなったことや、対策技術が高価なものであるがゆえに広がりにくいなど、数々の困難に見舞われたことに比べると、相対的にその出来は良かったと言えるのだと思います。

で、問題はオゾン層破壊を抑止したこの議定書で認められてきた代替技術も地球温暖化を進めてしまうという点で、The Ecomomistの主張は(うまくいった)この議定書を延長・拡大して地球温暖化対策を、というところにあります。

おカネの使途に関する各国の発言権が強くなり、国連の色合いが弱まれば、成果より透明性を求める官僚主義的な色彩は薄まると思うので、その点は歓迎したいと思います。ただ残念ながら現在の多国間環境条約、そして国際的な資金の流れは必ずしもその方向に向かっていない、むしろ国連主導の流れが既得権のようなものを持ってしまっていて、多くの化学物質や環境保護の対策が国連主導でないと動かないような仕組みになってきている、という流れにあり、モントリオール議定書はそういう視点から見るとやや趣を異にした取り決め、とみられている点についてどのような調整がなされてゆくのかが気になるところ、ですかね。

透明性や説明責任もたしかに重要だと思うのですが、温暖化対策については特に、待ったなしの対応こそが優先されるべきではないかと。

テレビ討論会の行方について

The Economist電子版は、9月26日に第一回が予定されているアメリカ大統領選のテレビ討論について、過去の事例をなぞりつつ、今回の選挙結果にも大きな影響をもたらすであろうとの見通しを伝えています。

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1980年の大統領選挙で民主党・カーター陣営が取った戦略は「共和党・レーガン候補にレッテル貼りをすること」だったそうです。すなわち、レーガンは単細胞のおめでたい人間で、戦争好きな右翼で、非常に危険な政策を取ろうとしている、というような。

ところが、テレビ討論がイメージづけたレーガン候補は「落ち着いていて合理的で、意思決定の伴った成果によって支持を決めていなかった有権者に対した」というものだったそうで。

反対に、カーター候補は「管理され、ユーモアがなく」親しみやすさを感じたかという調査ではレーガン候補を下回ったのだそうです。

4年後の再選では、第一回討論で細かい政策の議論があまり好評でなかった流れの中で、第二回討論会においてレーガン大統領はモンデール候補に対して彼の弱点をあげつらうことはせず、自分が「目の輝いた、気の利いたことを言う候補」というイメージづくりに力点を置いたのだそうです。これによって引き分け、もしくは政策議論に関する肩透かしに終わったことが、現職大統領であったレーガン候補にとっては勝ちに等しい討論会になった、のだそうで。

実際のところテレビ討論が左右する投票行動は、言われるほど大きなものではないのかもしれないけれど、ブッシュ息子とアル・ゴアのときもそうだったように、僅差が絶対差になるのがアメリカ大統領選の厳しいところなので、トランプ候補クリントン候補も決して手を抜くわけには行かないだろう、との見立ては当たっているように思います。

トランプ候補については、自らの資格要件に疑問符をつけている多くの共和党支持者に対して、自らが大統領にふさわしいことをどのように説得できるのか。計算高い政治家という評価がついてまわるクリントン候補については、どのように「大統領候補として好むに足る」という評価を得るのか。

このあたり、ほどなく日本でもメディアを駆け巡るであろう第一回討論会の成り行きを吟味するうえで有用な視点ではないかと思います。11月まで、いよいよ選挙戦もヒートアップする時期になってきましたね。

 

ドゥテルテのフィリピンが考えていること

9月17日号のAsiaには、先ごろG20首脳会議でアメリカのオバマ大統領に対して悪態をつき、首脳会談を棒に振ったことが記憶に新しいフィリピンのドゥテルテ大統領と、対中関係を巡るフィリピンの動きについての興味深い記事が載っています。

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その後も今週になって、ミンダナオ島の治安維持を目的に駐留する米軍特別部隊の撤退を呼びかけたのだそうですし、9月13日には防衛大臣に対して、武器の調達先をアメリカではなくロシアそして中国に変更するよう指示を出したとのこと。さらに海軍に対しても、南シナ海での米海軍艦艇との共同パトロールを止めるよう指示をだしたりしているのだそうです。

これら一連の動きに加え、中国との直接対話にも前向きだとの観測があるようで、他では歯に衣着せない同大統領が中国についてだけは慎重な物言いを続けていることも対中外交への期待をにじませるものになっているようです。

果たして彼は何をしようとしているのでしょうか?南シナ海における中国の権益は認められないとした国際仲裁裁判所の判決を、中国に少しでも高く売ろうとしているのかもしれません。確かに中国について言及するとき、何の関係もない国内の鉄道網整備などの話が大統領の口をついて出ることもあるのだそうです。でも、今の中国が裁判所の判決を鉄道プロジェクトと引き換えにしたりするでしょうか?帰趨がわからない以上、そちらに賭けるという選択肢はあるのかもしれません。でもそれは、アメリカや日本をはじめとする国際社会が第一選択肢に選ぶオプションでないことは自明だと思います。

むろん、フィリピンは第一者ですから、せっかく得た判決を最も有効に使いたいという心理が強く働くのは当たり前だと思います。ドゥテルテ大統領の対中姿勢を読み解こうとするとき、彼の態度を客観的に説明できる要因はその他には見当たらない気がします。

外交経験のなさがなせる危なっかしさ、と言われればそうなのかもしれません。中国との調整が不調で、最後には結局アメリカにすがるという結論が待っているのかもしれません。そうなることで失うものと、対中交渉で得られるかも知れないものとの期待値の大きさが、彼の目には少し違って見えている、ということなのだろうと思います。