新 The Economistを読むブログ

イギリスの週刊誌 The Economistを読んでひとこと

中国とロシア

あからさまな書き方をするメディアは、日本ではあまりお目にかかりませんが、海外ではそれがむしろ普通だったりします。The Economist7月29日号のChinaは、中国とロシアの関係そしてロシアが置かれた国際的な立場について、おそらく日本では絶対にお目にかからないあからさまな書き方で、その分析を伝えています。

www.economist.com

曰く、習近平プーチンは首脳同士として最も頻繁に会う間柄である、習近平は2013年にインドネシアで開かれた国際会議のときもプーチンの私的な誕生日パーティに招かれた、また両国が催した戦勝70年記念式典に相互に出席するなどその関係は深い、のだそうです。

その他にも;

①ロシアが日々衰えていることを、西側が認識していると同様に中国も冷静に見ている。ただアメリカがそれ(ロシアの自己主張)を無視してかかるのに対し、中国は衰えた核保有国が自分の頭痛のタネにならないように注意深くロシアとつきあっている。

②中国は、ロシアが冷戦後の体制へ挑戦しようとする(ウクライナ問題など)ことを歓迎してはいない(クリミア半島併合も未承認)。経済のグローバル化で最も裨益しているのは中国だから。

③中国はロシアから石油ガスと兵器を買っている。経済面の相互依存度は圧倒的にロシアの中国依存度が高い。政治と安全保障分野でのみ、中国はロシアの価値を認めている。

中央アジアは政治的にロシアの縄張りだったところ、「一帯一路」政策により中国の影響度が高まりつつある。

⑤極東ではかつてロシア人が中国観光に行きおカネを使っていたが、今や中国人がロシアでカネを使う時代に。

「衰退するロシア」というモデルについて無神経な西側(あるいは『それみたことか』、というふうに思っているのかもしれません)、用心深い中国(アメリカが対ロシアで抱えているような面倒を抱え込むのは御免)という違いは、かなりの部分で地政学的な差異によるものではないかと思われます。西側(ヨーロッパ)も中国も、ロシアからの石油ガスに依存する度合いが高いわけで、ロシアが今の地位にいられるのも石油ガスがあるから、という絵姿が浮かび上がります。

誰が誰に対して何を考えているか、みたいな視点での読み解きは、なかなか日本のメディアではお目にかかりません。今日の記事はぜひ英語で読まれることをお勧めします。

アメリカ社会と銀行

The Economist7月29日号のFinance and economicsには、最近アメリカの銀行が田舎の支店をどんどん閉鎖しているという傾向についての記事が載っています。

www.economist.com

記事の報じるところでは、都市部から離れた小規模な町や村(?)で、銀行の支店が閉鎖される例が相次いでいるとのこと。かつては全米で10万件ほどあった銀行の支店が、今や9万件まで減ってきているのだそうです。かの国で支払いの中心となる小切手決済を引き受けたり、地場産業の運転資金をサポートする役目を担う銀行がなくなる、というのは地域経済にとって結構重たいインパクトを持つ現象だろうと思われます。景気に直結する通貨の流通は、中央銀行が通貨供給を増やした段階ではなく、銀行が顧客企業の口座に資金を貸し付けたところが実際のスタートになるわけで、そう考えると銀行の支店閉鎖は、地場産業にとって不便をかこつに止まらず、国内経済の持続可能性を低めることに他ならないのだろうと思われます。

これはかの国の経済インフラが傷んできていることの証拠であろうと思って見ています。そして日本も以て他山の石とすべき話だろうと思います。かつてメガバンクが合併で支店合理化を行ったときには、都市部中心に有人店舗がATMに置き換わる等の変化がありましたが、人口減少の続く中、AI導入の影響もあって金融機関の大幅な人員削減が噂されているがその理由です。

そして合理化が真っ先に向かう先は、人口が減って地場産業が衰退する地方都市だろうと思われます。そして合理化が減らすのは人だけではありません。未来に向けた夢やモチベーション、街の勢いと言ったものを根こそぎ減らしてゆくのです。むろん、地元経済界は必死になってその流れに抗おうとします。そして例外的なケースではそれがうまく行く場合もあるかもしれません。しかしながら長期で見れば、全体が沈んでゆく流れは変わらないだろうと思います。

そのような傾向の中でどうやって経済インフラとしての金融機関を下支えするのか?インターネットは一つの答えなのかもしれません。AIもそうです。でもこれらは所詮「乗り物」あるいは「器」の話でしかなく、血の通った金融サービスを担保しようと思ったら、今の段階では結局人が介在しないことにはうまく行かないように思います。それをどうやってAIやネットのサービスに置き換えてゆくのか。そのあたりの移行経過を上手くコントロールできるかどうかが勝負の分かれ目になってくるのではないでしょうか。

生き方と生き様の、多様化

ネットでは7月29日号が流れているThe Economistは、LeadersとInternationalでそれぞれ子供を持つ生き方とそうでない生き方をする人たちについての記事を載せています。

www.economist.com

www.economist.com

日本では、少子高齢化あるいは人口減少問題などというふうに、なんだか国家の問題のように一言で括られることが多いと思いますが、The Economistの見方は(そして多分、少なくない西欧のメディアも)、「終生子供を持たない人の率」みたいな指標を通じ、むしろ社会の問題として捉えようとしています。

むろん、たとえば日本の年金制度のように、子供の数が少なくなると厳しい制度を構築してしまうと、それは国家の問題という部分が強く出てくるわけですが、The Economistの読み解きによると、子供を持つ人も持たない人もいて、アイルランドなどがそうであったように、子供を持つ人がたくさん産めば人口問題への影響は大きくない、という性格の話だろうということなのです。

そういう目で見ると、先進国の首脳には子供のない人が多く(偶然でしょうか)、日独仏英の首脳はみなそうだったりします。ただ統計的に見ると、たとえば30歳過ぎて子供のない女性の比率が高まっていることは事実のようです。

興味深かったのは、ドイツなどでは男性の場合大卒よりも高卒以下の人に「生涯子供を持たない人」の率が高いという話でして、これはパートナーとして一定以上の資格を持った男性の方が選ばれやすいから、という仮説がその説明として挙げられています。

考えてみれば動物も、発情期にはオス同士が力比べをし、勝った方のオスがメスを独占したりするという生態だったりするわけで、だとするとみな平等に結婚し、みな平等に少しの子供を持つ、といったビジョンの方がどこかおかしいという話であることが分かると思います。

結婚する人はする、しない人はしない、子供を持つ人は持つ、たくさん欲しい人はたくさん持つといった多様化を通じて、あからさまな損得が発生しない社会を実現できれば、最終的には日本の少子高齢化問題も緩和される方向に向くのではないかなと、そんなふうに思うのですが。

温暖化が進むと

The Economist電子版は、進む地球温暖化によって影響を受けると考えられる航空業界に関する興味深い記事を載せています。日本のメディアではまだ注目されていない話題だと思います。

www.economist.com

曰く、気温が上がりすぎると空気の密度が変化することによって十分な揚力が得られなくなり、ドバイやニューヨークなどの空港では最も気温があがる時間帯には定格より4%ほど積載重量を落とさないと離陸できなくなるのではないか、との観測があるのだそうです。

暑い暑いと思っている今年ですが、暑さが心配のタネになるのは日本だけではないようです。

劉暁波への弔辞

ネットで流れているThe Economist7月15日号の表紙は、昨日がんで亡くなった中国の民主化運動の闘士でノーベル平和賞を受賞した劉暁波(Liu Xiaobo)氏の、まだ元気なころの横顔です。The EconomistはLeadersのトップ記事と、ChinaそしてObituaryの3本の記事を割いて、彼の死を悼んでいます。

www.economist.com

中国の民主化と人権尊重について西側諸国はもっと声を上げるべきであったと、彼が遺した民主化の青写真である「チャーター08」という文章には、一党支配の終焉と真の自由を希求することが明示されていたと、The Economistは訴えます。

(彼のノーベル賞受賞は、中共政府をしてノルウェーとの断交に踏み切らせ、ようやく昨年国交が再開されたのだそうです。)

事実として彼の死を伝えたメディアは日本にも数多くあったと思いますが、それが意味するところを伝えようとしたメディアは少なかったのではないかと思います。ネットなどでは何人かの保守論客が自虐のようにその控えめな報道ぶりを非難していたようですが、結局はその程度でした。

せめて、彼のノーベル平和賞受賞が霞んでしまわないように、その受賞記念を毎年思い出すような取り組みがなされて行くように、中国で民主化と人権尊重が進んでゆくようにと思わずにはいられません。

Wahveとは

ワーヴ、って読むんでしょうかね。Work At Home Vintage Experts(在宅勤務の熟練専門家)の略だそうですが、ニューヨークにある会社の名前だそうで、金融関係のベテランが定年退職したあとの在宅による仕事を世話しているのだとか。

The Economist7月8日号のSpecial reportは、高齢化社会をチャンスと見る視点の記事が載っているのですが、そのうちの一つで出会ったキーワードです。

www.economist.com

インターネットの時代、在宅勤務による専門性の提供は充分可能な時代になってきています。高齢化社会における付加価値提供の新しい形、かもしれません。そのうち日本でも流行るかも?

誰のための大会か

今週はトーナメントも後半に入り、連日熱戦の続くウィンブルドン選手権について、The Economistは電子版でちょっと考えさせられる記事を出しています。

www.economist.com

今年の大会では、一回戦でケガによる途中棄権が相次いだそうですが、極端な例ではプレーが始まって15分、わずか5ゲームが終わったところで棄権したティプサレビッチの話が出ています。

あるいはご存知の方も多いかと思うのですが、ウィンブルドン選手権には予選があって、決勝で負けた選手は一回戦で棄権が出ると「ラッキー・ルーザー」といって繰り上げ出場の権利が与えられるケースがあります。今年は日本の伊藤選手も予選決勝をフルセット戦って敗退していました。

ところが、ウィンブルドン選手権では一回戦を出場しないと賞金もポイントも稼げないのだそうで、多少ケガをしていていも少しでもプレーして賞金を稼ぎたい選手からすると、一回戦を短時間プレーして権利を確保したうえで棄権する、みたいなパターンが横行する素地があるわけです。予選決勝敗退者は、ラッキー・ルーザーになれるかもしれないと思って待機した挙句、棄権しそうな選手がやっぱり出場してしまうことにつながるわけで。

このようなことが続くと、一回戦は軒並み途中棄権になるリスクも出てくるわけですが、他のツアー大会ではそれを防ぐために事前の棄権であっても出場資格保持者には一回戦敗退と同等の賞金が支払われるというルールになっているそうです。ウィンブルドンもこれに合わせてルール改正が議論されていて、そうなるとやる気のあるラッキー・ルーザーが大会に出場できる機会も増えると思われるのですが、そもそも誰のための大会なのか?ということを考えるに、もう少し違う議論があっても良いような気がしています。

本来お客さんが見たいのは、ランキングが上の選手による高度なパフォーマンスだと思います。むろん選手としても、ケガのない万全の状態でプレーしたいはずですよね。であれば、ルール改正が向かうべき方向は賞金配分方法の見直しではなく、出場試合数の削減あるいは調整ではないかと思うのです。

今のルールではトップ選手に対して年間出場大会数が半ば義務的に決められていて、ツアーを回る選手はそれを意識して臨まなくてはならない宿命を負っています(男子のトップ30に位置する選手は年間12大会の出場義務がある)。それを大会数ではなくて、試合数あるいは実際にプレーした試合時間または得点数+失点数をポイント換算したもので測定し、そのポイントで義務的な出場責任を測るようにすると、責任分担が公平化されるとともに、蓄積疲労によるケガなども減らせるのではないかと思うのですが。

今年の大会は、優勝候補の一角に挙げられていたナダル選手がファイナル13-15という記録に残る厳しい試合を落として敗退し、若干以上波乱含みの展開となっています。彼もまた、ここ数年はケガに悩む時期が長かったわけですが、彼ならどんな改革を考えるでしょうか。ちょっと聞いてみたい気がします。