新 The Economistを読むブログ

イギリスの週刊誌 The Economistを読んでひとこと

ワイロのエチケット

12月23日号の特集記事でもうひとつだけ、興味を引いたのは「How to grease a palm, Corruption has its own elaborate etiquette (贈賄の方法-汚職には洗練されたエチケットがある)」と言う記事です。談合問題等が日本国内でクローズアップされた2006年でしたが、The Economistはワイロをどのように取り上げているのかを見てみたいと思います。

まず、面白いなと思った分析は、ワイロは洋の東西を問わず、またどれだけ盛んに行われているかそうでないかに関わらず、ひっそり行われると言う点が世界的に共通している、というのです。どれだけワイロ漬けになっている国でも、「ワイロをください、さもないとこの話は通せませんよ」的なあられもないワイロ要求はほとんどない、その代わりに使われるのが、督促料やスピードマネー等といった、さもそれらしいビジネスや公式の要求だといいます。または個人的な小さな贈り物に見せかける言い方もよくあり、ナイジェリアでは「週末のなにやら」、メキシコでは「ソフトドリンク」だそうですが、そういえばかつて私が駐在したケニアでは「チャイ」(お茶)というのが隠語でワイロを指すことが良く知られていました。

コトバと同様に、ワイロの受け渡しにおいて現金をそのまま渡すことは今一つの禁忌であるようです。封筒に入れて、あるいは交通切符の間に挟んで、というのは良くあるパターンだそうです。

ジャーナリストが標的になるのも世界共通のようです。交通規制で止められて、インタビューに遅れそうになったモスクワ駐在のとあるジャーナリストは機転を利かせて、ワイロを掴ませることで警察車両に乗ってクレムリンへと移動、無事インタビュー時間に間に合ったとか。5割り増しを要求する警察側を、ネゴで押し切り最初の合意価格で済ませたあたり、このジャーナリストもなかなかタフです(記述から推測するに、どうもThe Economistの特派員ではないかと疑ってしまいたくなります)。

ジャーナリストはまた、もらう側にもなりやすいそうで、ナイジェリアで記者会見の際に「経費」としてカネをつかまされたThe Economistの特派員(今度は明確に社名が出ていました)。アメリカでも著名なコラムニストなどがワイロをもらっていたのではないかとの疑惑に「取材源の秘匿」を盾にして答えなかった例があるようですし。

このように、先進国だからと言ってワイロは無縁、というわけでは決してなく、特別待遇の需要と見返りの供給があるところ、世界中どこでもワイロは行き交う、と言う記述には納得感があります。

世銀のウォルフォヴィッツ総裁とスタッフたちは、途上国の汚職追放にやっきになっているようですが、勃興するアジア諸国ではワイロが必須だった開発独裁政権時に大きな成長を経験したこと、中国では選挙のたびに汚職追放が叫ばれるが、実際にはワイロなしではビジネスが進まないことなど、経済学が言うほどに汚職は成長を妨げず、ワイロのある国はまた成長力を持った国でもあるようです。最貧国には汚職がつきものでも、逆また真ならず。

ストックホルム大学の研究者によると、社会主義国でのワイロはその他の国よりも頻繁にやりとりされ、成人の教育程度、輸入市場の開放度、政府による対マスコミ規制、開業までの所要時間等の変数に密接に関係しているとのこと。これが本当だとすると、国民の教育程度が低く、禁輸品が多く(密輸の温床となる)、メディアが動きにくく、外資がいつまでも待たされるような国は間違いなくワイロの通る国だと思ってよいということになりますが。

所謂政府活動の大きさに比例して汚職の度合いも決まるとの前提で、The Economistは「最も統治しない政府が最も良い政府である」(トマス・ジェファーソン)という格言を引用して記事を締めくくっております。でも、だからと言ってワイロはなくなりますかね?