新 The Economistを読むブログ

イギリスの週刊誌 The Economistを読んでひとこと

本当の意味での付加価値を考える

10月22日号のLeadersのトップには、世界各地を吹き荒れる格差反対デモに絡めて、The Economistお得意の自由主義経済擁護論が掲げられています。
正論、の域を出ないこの記事はしかしながら、「99%を犠牲にした1%」を擁護する論陣を張るまでの冒険はしておりませんで、あくまで怒れる人々が支持するであろう大衆迎合的な政策が自由主義経済からみて望ましくないものであるか、を述べるに止まっています。他方、読者コメントを見ると多くの意見においてその怒りは不労所得に近い歪な高収入を得ている金融ビジネスのエリートに向けられているようで、この二つを重ね合わせることで見えてくるのが「高額ボーナスが支払われる金融ビジネスのありかたはそれほどまでに問題なのか」、ということではないかと思います。

たとえば地道なエンジニアが、製造業を捨ててまでも金融ビジネスに走り、小金をためて地主になるというライフモデルがあったとして、製造業が失う期待値はエンジニアがもたらしうる付加価値だろうと思われます。このエンジニアが独特の技術を持っていればいるほどその期待値は補充がきかず、この転職はネットで社会の損失となる可能性が大きいと思います。他方、このエンジニアが金融ビジネスでもたらしうる付加価値は、単純比較では確かに製造業における付加価値より大きいかもしれませんが、仮にこのエンジニアが退職したとしても他のだれかによって補充される可能性が大きいのではないかと思われます。また、金融ビジネスは製造業と異なり、それ自体が根源的な付加価値をもたらす性格を持っていないため、社会全体の富が増大しなくなると、それまで目立たなかった期待値の大きさがたちまち目立つようになるという点も見逃せないと思います。

右肩上がりに人気の高まるスポーツで、いつのまにかプレーヤーよりプロモーターが稼ぐようになっていたところ、人気ががた落ちとなりプレーヤーの給料が減らされたのに、気づいてみればプロモーターは以前と変わらぬ高給を得ているとしたら、そのスポーツに明日はないと言われても不思議はないでしょう。プロモーターのすべきことは高給を返上してでも人気を回復させるための新規投資や人材育成へそのおカネを振り向けることではないでしょうか。

アメリカに代表される先進国経済が陥っている状況はおそらくこれに似ていて、ゆえに危機感を先取りした茶会運動などがその声を高くしているものではないかと思います。ウォール街でデモをしている彼ら自身や、集会で気勢を上げる茶会運動の参加者に自覚はなくとも、もはや大きくならないパイの分配をめぐって「99%対茶会」という構図で綱引きが行われているのが現状、ということかと認識します。だとすると、自由経済を喧伝するThe Economistの論陣は、どうコトバを選んでみたところで99%側に立つものではないと判断されそうですね。