新 The Economistを読むブログ

イギリスの週刊誌 The Economistを読んでひとこと

明日への期待

The Economist誌の配本がクリスマス特集で一週お休みのため、今年の最後を飾って今日は記事から離れたことを書いてみます。The Economistを読み始めて、もうかれこれ17年になると思うのですが、その間残念だったのは同誌を凌がないまでも何かキラリと光る活字媒体に出会わなかったこと、その間僥倖だったのは平凡かもしれませんが日本で本格的な政権交代があったこと、ではないかと思っています。

かつてThe Economist誌を読み始めた頃、本気で世界経済の先行きを心配し、責任ある対応をしつこく呼びかける同誌の論調に、ややもすると辟易したものですが、そのニヒリズムが言ってみれば属国の民のそれにすぎないことに気づくまでそう長い時間はかからなかったと思います。実に、今日に至るまで日本の感覚は自らの責任において世界経済を運営する、というレベルには到達していない、その証左とも言えるのがメディアの質ではないかと思っています。但し最近は活字以外のメディアにもさまざまなプロトタイプが生まれつつあるため、気づかないうちに良質の媒体が育ちつつあるのかもしれないのですが。

そうこうしているうちに、なんと言うか粛々と、既得権益を否定し去るような政権交代が実現したことは、メディアの不出来さを補って余りある国民の成熟度の表れではないかと感じています。確かに米軍基地や郵政を巡る小学生でもやらないような迷走ぶりは政権自体のレベルの低さを物語っているとも思うのですが、同時に「ああ、やっぱり自民党が良かった」という話が一つも出てこないことが成熟度の表れそのものだと思うのです。なんというか、悪いと判っていても何をも動かせなかった既得権益という名の大きな壁、それを突き崩したのは誰かと言うと、それは未熟で、寄り合い所帯で、闇のフィクサーがいて、小うるさい連立諸派に言いたい放題を言われている民主党ではなく、そんな民主党でも任せないことには壁は崩れないと見た有権者そのものであったと、私はそう思うのです。

八方塞の、身動き取れない体制のままでは日本は死ぬしかない、だったら変わらなきゃという議論に、メディアよりも、政治家よりも先に国民が反応したということではないかと思うのです。であればこそ尚のこと、閣僚のコトバ尻をあげつらうのではなく、既得権益者から遠く、よって議論も稚拙になり勝ちかもしれない民主党政権において、とにかく結果を出すことを最優先に取り組むべきとする世論の判断は大きな道標だと思うのです。

よちよち歩きの民主党は、この道標に付いてこれるのでしょうか。早晩退場を求めらるであろう少数与党はその過程でどのような判断や行動を取るのでしょうか。2010年も局部的には大変な見ものが続く中、大勢がひっくり返ることだけはないように祈念します。

この一年ご愛読ありがとうございました。新年も今年と変わらず「The Economistを読むブログ」をどうぞよろしくお願いいたします。それでは皆さん、良いお年を。